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『夏物語』 イ・ビョンホン スエ

ある人に知らせたい
いろいろな人に分けてあげれば――
いつかは その人のもとに
届くはずだから
そうすれば分かる
2人の暗号なの
“私は元気 心配しないでね 私は幸せよ”


1968年の激動の韓国を舞台に、まだ学生だったユン・ソギョン(イ・ビョンホン)と、父親が北朝鮮へと行ってしまったために“アカ”呼ばわりされているソ・ジョンイン(スエ)の、一途な愛を描いた作品――。
「出演依頼のシナリオをたくさん頂きました。そのなかで本作が一番完成度が高かったというわけではありません。それよりも、私の感情を動かしたシナリオだったのです(日本公式HPより引用)」と、イ・ビョンホンさんがコメントされているように、この映画は当時の朴正煕大統領による独裁ぶりは、におわすていどに抑えられ、時代のうねりに逆らえずに奪われてゆく、ふたりの“感情”に添って描かれている。


小説でも人称が違えば照らし出される対象も変わっていくが、映画もまた見せ方が異なるだけで、描かれる対象が変わっていく。この映画の監督は、どのような視点によって何を照らし出そうとしていたのか。場面のつらなりを受け止めていくと…、

激動の時代を背景に、一途な愛を描こうとすれば、たいていの場合、監督は、長回しを多用するだろう。遠くの方から、たっぷりと情景を撮る。時代そのものをカット割りせずに、映像のなかに時代を沁み込ませる。画面の隅々まで行き渡らせた、ふたりの“感情”もこれによって同時に映し込むこともできる。ところが、この映画では、それを積極的に行っていなかった。質感は、なめらかで、時代の重さとは異なる身軽さが加えられている。韓国での興行成績が、かんばしくなかったのは、そのせいかと思われる。観客はすでに待ち構えていたのだ。この映画のタイトルと配役と、ひょっとして少しはストーリーも知っていたかもしれない観客は、ズシリと重い、もっと深みのある映画を待ち構えていたのかもしれない。時代に翻弄される、その動き自体を観たかったのだろう。

そういった定石をはずして、監督はこの映画に身軽さを与えている。
時代のうねりに逆らえずに奪われていくふたりを描きながらも、「こんな時代、なンてことないわ」と言わんばかりの身軽さ、どのような時代にも決して奪われることのない、心の自由を与えている。

上に抜き出したセリフはソ・ジョンインが歌うように語っていたものだ。ヒノキを小さく分けて栞を作る。その栞をみんなに手渡していく。めぐり廻って本当に手渡したい人のもとへと栞は届く。時代はふたりを切り離したかも知れないが、ふたりの心は結ばれたままである。かつて学生だったユン・ソギョンは、いまや老教授である。彼は独身をつらぬきとおし、行方知れずの彼女のことを心配している。そして彼女は彼と離れたあとも、まるで飛び跳ねるように元気に働いている。きっと彼は私のことを心配しているわ……。

“私は元気 心配しないでね 私は幸せよ”

老教授ユン・ソギョンのもとに、数十年かかって、その栞はついに届けられた。彼女のメッセージを受け取ることによって、一度彼女を裏切ってしまった、その思いすらもいっしょに赦されていく。彼女の自由な心は彼女自身だけでなく、彼の足元をも自由な光でいっぱいに輝かせ、直情的な愛ではない、つつみ込むような愛で満たしている。映画は時代の重みを脱ぎ捨て身軽になればなるほどに、逆に時代の重みを炙り出す。いや、これは、私のいつもの深読みにすぎない。あくまでも、映画はふたりの“感情”に添って描かれる。恋するふたりの“感情”は、なにものにも妨げられない、いつの世も、自由なのだ。

ユン・ソギョン役のイ・ビョンホンさんは、20代の学生と60代の教授の2役を演じている。実年齢が30代だから、一方は若すぎるし、もう一方は歳をとりすぎている。これといって特徴のないノンポリ学生も、特殊メイクを施した老教授も、両方とも演じるには難しいかと思われる。とくにノンポリ学生が難しいだろう。どうして彼女は彼を愛したのか、そこに応えなければいけない。お金持ちだとか特技があるだとか、だれが見ても個性的で愛さずにはいられない人物だとか、そういった外側の条件が示されていないなかで、ユン・ソギョンの魅力を表さなければいけなかった。おそらく監督は、だからこそイ・ビョンホンさんに、出演を依頼したのだろう。この役者さんは体全体で場の空気をつくることができる。ユン・ソギョンは隙だらけの人物だった。主義や思想といった、およそ硬いものでプロテクトしていない、くもりのない澄んだ目で人を見ることができる。それが彼女にとっては魅力的に感じられたのだろう。私はこういう人で父親はこういう人で、この村ではこういう役割、位置に置かれていて……、といった、がんじがらめの日々を、彼女は生きていたのだから。彼の眼差しは、その彼女の内側を見ようとしていた。

ソ・ジョンイン役のスエさんは、若い世代を演じるだけでよかった。がんじがらめの日々を生きているとはいえ、日常は彼女のものだ、村の人々がいないところでは、おてんばな娘ぶりを垣間見せている。だからスエさんの場合は年齢的な演じ分けではなく、みんなの見ている自分と、ほんとの自分との演じ分けが必要になってくる。ちょっと顔色をうかがうような、ひかえめな様子を見せているから、きっとこの村で生きるには窮屈だったのだろう。おてんばな娘心が、もっとイキイキと生きられる場所を潜在的に求めていたのだろう。その彼女が、“私は元気、心配しないでね、私は幸せよ”と呟くのは、とてもしぜんに納得できる。と同時に彼女の宿命が、彼との別れを選択しても、これまでの流れから察して、どうしようもない、と思わせる。なんども手を握りかえし、引き止めておきたい気持ちに揺れながら……。

すこし余計な枝葉を刈り取ってもよかったような気もした(TV局の企画から映画を起こさないで、彼女の、おてんばな生活へと、じかに入っていったほうが適切だったかも)。
純愛ものを斬新な切り口で語ることの難しさや、時代の重さを身軽さに転換し、そこから時代に妨げられない自由な心を表現しようとした、その監督の視点の新しさなど、評価できる部分が多い。完成度は高くないが、定石をはずして勝負しようとした心意気が良かったと思う。
印象的なシーンも多い。ヒノキもそうだが、石もそうだ。そしてなにより圧巻なのは、ふたりが捕まって、取調室で、おたがいの顔を突き合わせるシーン、ここは押して、押して、押して! イ・ビョンホンさんとスエさんの息も詰まるほどの競演だった。言葉にしてはいけない、その思いを、ふたりは無言のまま、つなげようとしていた。

【あらすじ】
1969年の夏。ユン・ソギョン(イ・ビョンホン)はまだ学生だった。農業ボランティアとして電気も通っていない農村へとやってくる。そこで彼女と出会う。彼女はソ・ジョンイン(スエ)。彼女の父親が北朝鮮へと行ってしまったことで、村では“アカ”と呼ばれ、北朝鮮のスパイ容疑で捕まるかもしれない危険な女性だった。ソギョンは彼女に惹かれていく。彼女との未来を思い描いた。しかし時代は激動の真っ只中にいた…。それから数十年後。老教授となった、ユン・ソギョンは、いまも独身を貫き通している。TVの企画に応じて別れてしまった彼女を捜し出そうとするが…。

2006年韓国/監督:チョ・グンシク(『品行ゼロ』)/脚本:チョ・グンシク キム・ウニ/出演:イ・ビョンホン(『純愛中毒』『甘い人生』)スエ(『ファミリー』)オ・ダルス(『オールド・ボーイ』)イ・セウン(『コックリさん』)チョン・ソギョン(『王の男』)ユ・ヘジン(『王の男』)/日本公式HP

【夏物語DVD】
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COMMENTS



こんにちは!
『夏物語』の感想を拝読致しました~。イ・ビョンホンファンの私からまず一言♪
素晴らしい感想を書いて下さり、ありがとうございます。
ファンの視点とはまた違う、映画自体を曇りのない眼鏡でしっかり観て下さったのがよく分かります。嬉しいです。

 惜しいかな…残念だな…と思ったりするのですが、私はこの映画が好きです。
作品全体を流れるノスタルジックな情緒と軽やかさがとても好き。

「…(略)…そういった定石をはずして、監督はこの映画に身軽さを与えている。
時代のうねりに逆らえずに奪われていくふたりを描きながらも、「こんな時代、なンてことないわ」と言わんばかりの身軽さ、どのような時代にも決して奪われることのない、心の自由を与えている。」
とitu:kairouさんが書いて下さっているのがとても嬉しいです。

 1969年の夏はとても切なく美しかった…。
30代のイ・ビョンホンさんにとって、大学生を演じるのは簡単な作業ではなかったでしょう。でも、どのシーンも彼の演技の密度は高かったと思います。そしてノスタルジックな映画の色調に、ヒロインのスエさんはぴったりでした。

 私が惜しいかなと思うのは編集。
itu:kairouさんが「枝葉」に感じられたテレビ局の番組企画云々の設定にも関係があるのです。
実はこの映画、最初はTV番組(会いたいと思う人を探すドキュメンタリー)の取材でPDと助手が老教授の初恋の人を捜す設定だったはず…。映画は過去と現在を行き来しながら、かつての悲恋を描いていく物語だったようです。だから「枝葉」に感じられた設定を完全に削ることも出来着なかったのかも知れません。それで私は編集段階での監督のジレンマを感じてしまうのです。1969年の悲恋と現代が上手く絡み合っていないような気がするのです。

 しかし、私が好きなこの映画の情緒は、現在から過去を見つめる視点、それは追憶のフィルターとも言えますが、それが生み出すものだと思うのです。
私も1969年だけで時代に翻弄された二人の悲恋を描いたら、映画自体もスッキリすると思ったのですが、それこそitu:kairouさんの文章の中にあるように
「ズシリと重い、もっと深みのある映画」
になってしまいそうです。そうしたら、この映画の魅力的な色調がそこなわれそうな気もしました。
(つづく…)

 ソギョンとジョンインの恋は時代のうねりの中で別離を余儀なくされ、悲恋に終わりました。
 ソギョンのたった一度の裏切りは、あの時致し方ない事だったと思います。それがジョンインを助ける為なのか、単なる自己の保身の為かは彼自身死ぬまで結論は出せなかったでしょう。幾度となくあの時のことを反芻し、彼は悔恨の念にさいなまれたのではないかしら。
 ジョンインも自らの生い立ちを思えば、愛する人のために別れなければならないと覚悟を決めたのでしょう。ソウル駅での別れは悲しかった…。

 でも果たして彼らは完全に時代や外部の圧力に「心の自由」を奪われたかというと、そうでもないかも知れない。私は観終わった時、彼らは「想い」の上ではハッピーエンドだったと思いました。
 ヒノキの栞と魚の石を介在させながら、遠く離れていても、行方不明でも、時代の流れにも社会にも「心の自由」は負けてないじゃないか。二人の想いはずっと通じ合っていたじゃないか。それを感じさせるのはイ・ビョンホンとスエの演技力によるところが大きいと思います。(贔屓目かも)

 itu:kairouさんが書いていらっしゃる「心の自由」を私も感じるのです。
「映画は時代の重みを脱ぎ捨て身軽になればなるほどに、逆に時代の重みを炙り出す。いや、これは、私のいつもの深読みにすぎない。」
いえいえ、深読みなんかではありませんよ~。
そこがこの映画のミソではなのでしょう。
私はそれが、ジレンマの末に監督が描き出したテーマのようにも思います。

 二人が市場の電気店で耳を傾けたあの曲。
ロイクラークの『Yesterday when Iwas young』 を聴くと、
若き日のソギョンとジョンインの恋や、彼らのその後の「想い」がしみじみと伝わってくるような気がします。

長くなって済みません。itu:kairouさん、ありがとうございます。

■namomoさんへ

こんばんは!v-254
韓国ドラマとサイト名に書いておきながら、あらすじを書くのが苦手で、ドラマの感想文の「下書き」が、いっこうにすすまない、♪ダメな わ・た・し・ね~♪(笑)

というわけで、namomoさん、ドラマや映画を観るのが、やっぱり、お好きですよね。同類のニオイがします。だけど、私、書き落としています。お恥ずかしいことに、とても重要なことでした。映画全体のカラーです。「ノスタルジック」、これを忘れてはいけません。そしてこの映画の基調となる音がロイクラークの『Yesterday when Iwas young』ですよね。何年かして、この映画を思い出すときに、いっしょに思い出される音であり、イメージです。なんか素になって納得してしまいました。「おお!」とか、おもわず声が出てしまいました♪

>30代のイ・ビョンホンさんにとって、大学生を演じるのは簡単な作業ではなかったでしょう。でも、どのシーンも彼の演技の密度は高かったと思います。

大切な場面でもそうですが、ちょっとした場面でも良かったと思います。あの体育館みたいな所で寝泊りして、友達に、蚊に刺されたから帰ろうと言っている、イ・ビョンホンさんが、とってもキュートで、こういう大学生なんだなぁ、とそのニュアンスがよく伝わってきました。細部って大事ですよね。そういう小さな場面が積み重なって、ビョンホンさん演じる大学生を、こちらはしぜんに理解していくので。
でもこの場面は後になってから、彼女を好きになったという、彼の気持ちの変化を表わすのに有効に働いていましたネ。

>私は観終わった時、彼らは「想い」の上ではハッピーエンドだったと思いました。

晴れわたる青空のようなハッピーエンドではないけれど、繊細で情の深い、涙の味もする、そういう深みのあるハッピーエンドでした。
贔屓目じゃないと思います。ふたりは引き裂かれていく痛みを、あの捕まったときに、見事に演じてみせたので。この場面は誰が観てもグッとくると思います。そしてこの場面があるから、その後が活きてくるのじゃないでしょうか。

公式HPで監督さんのインタビューを読みましたが、あの時代をどう捉えるのか、そのジレンマを、ずっと抱えていたようですね。映画ってほんとに創るのが難しいのだろうと思います。枝葉の刈り取りってじつはすごく難しくて、たとえばヒッチコックの映画のクオリティーを高めているのは、トリック云々よりも、あの枝葉の刈り取りじゃないかと私は思っているのですが、それくらい難しい作業だと思います。

もっと分かりやすい映画の方が、創る人も観る人も、ラクですよね。創るのもラクだし、観るときもラクに理解できます。
この監督さんは、もっと精神的なところをフィルムに写し込もうとしているようなので、創るのが大変だったと思いますが、ラクに流れると、マッチョなハリウッド映画みたいになってしまうので(笑)アジアらしい繊細な感覚を大切にする映画を、私も観たいです。

『夏物語』の映画を頭に思い浮かべると、市場の電気店をふたりで覗き込んでいる姿が出てきます。ちょっとセピア色で、美しい場面でした。

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