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『ラブレター』 チョ・ヒョンジェ/スエ/チ・ジニ

ラブレター DVD-BOX
目次
制作/出演者
あらすじ
感想文
DVD/その他
雑誌/『ラブレター』主題歌
チョ・ヒョンジェ ファンサイト/EVER JOHYUNJAE(外部サイト)


■制作/出演者
放送/2003年韓国MBC
演出/オ・ギョンフン(「火の鳥」)
脚本/オ・スヨン(原案「冬のソナタ」「秋の童話」)
出演/チョ・ヒョンジェ(「薯童謡(ソドンヨ)」「STAR’S ECHO~あなたに逢いたくて~」「Only You」「サンシャイン・オブ・ラブ」)
   スエ(「海神」「家族」「4月のキス」「夏物語」「僕の結婚遠征記」「ファミリー」)
   チ・ジニ(「宮廷女官チャングムの誓い」「春の日」「古い庭園」「もしあなたなら~6つの視線」)


■あらすじ
「もうなにも望みません。神(あなた)の御心のままに。私は受け入れます。」

(1)イ・ウジン(チョ・ヒョンジェ)は、叔母さんの家に預けられ、冷たい仕打ちを受けていた。いい子にしていれば、いつか誰かが助けに来てくれる、そう信じて叔母さんのいじめにも耐えていたのだ。死んだ母がじぶんの手に握らせてくれたらしいクロスネックレスを肌身離さず身につけている。神の恩寵を、母の愛を、心から欲しいと願う日々だった。
ある日、ペテロ神父という人が訪ねてくる。亡き母の弟だという。天から救いの網が降りてくるように、ウジンのまえにペテロ神父が現れる。ついに神が願いを聞きいれてくれたのだ。神の存在を、確信する。
その日から、教会の養護施設で暮らすことになった。洗礼名は、アンドレア。ウジンは過酷な日々であり、アンドレアは穏やかな施設暮らし…。より“アンドレア”らしく生きる道を選ぶ。人に優しく、勉強もできる秀才は、洗礼名のアンドレアとして生き、表面上は、どこも問題はないように見えるのだが――。
アンドレアは高校生になった。じぶんと同じように両親を亡くしたチョ・ウナ(スエ)が施設にやってくる。ウナは肩ひじを張り、誰にも心を許さない。元お嬢様は両親の死によって“かわいそうな”孤児へと転落したのだ。アンドレアは彼女の悲しみを理解する。じぶんの悲しみを理解するように。実の妹のように大切に思う。心が通じ合い、ウナは警戒をほどき、それ以上の感情でアンドレアに好意を持つようになる。
ふたりは同じ医科大に入学する。施設から離れた場所で一緒に暮らしはじめる。その大学にはアンドレアと同じ名前の同級生がいた。チョン・ウジン(チ・ジニ)。著名な医者の息子で、その父に反発する、絶望的な表情のリアリストだった。
運命に引き寄せられ、ここで3人は出会ってしまう。ウジンは、ウナを愛し、ウナはアンドレアを愛する。そのアンドレアは神父を目指している。ウナの気持ちには応えられない。引き裂かれてゆく、それぞれの気持ちは、どこにも辿り着けない。
そんな中、アンドレアの母が、生きていることを知る。母と死に別れたのではなく、母に捨てられたのだ。確信する、神の存在を、疑いはじめるアンドレアだった。

(2)母と再会したアンドレアは、表面上は、和解するが、心穏やかではない。母は再婚してウジンの母でもある。実子ではないウジンは、母を取られてしまうのではないのかと、こちらも心穏やかではない。アンドレアは突然イタリアへ行くと言い出した。神父への道を、より確かなものにするため、修行に出る日を早めたのだと周囲には説明する。しかし本音は現実から逃げるためだった。すべてを忘れて神に仕える者になりたい。その神のこともアンドレアは疑っていた。
アンドレアはイタリアへと発つ。断ち切れないウナへの気持ちを手紙にしたためて。イタリアから戻ってきたとき、それでも君の気持ちが変わっていなければ、まだ僕を必要とするのなら、僕は君の元へと戻るだろう、と。ウジンはその手紙を隠してしまう。ウナは知らずに、アンドレアを愛する気持ちを持て余し、そして、2年が経ち――。
ウナは、ウジンと婚約しながらも、姿を消してしまい、2年後に、戻ってくる。ウナは病気で余命幾ばくもない身、愛されて死にたい、そんな気持ちも少なからずはたらいていた。ウジンの気持ちに応えようとしている。
アンドレアも帰国する。3人は再会する。ウジンが手紙を隠したことを、アンドレアは直感するが、時すでに遅し、2人を祝福するとだけ、伝える。
教会の近くの診療所で医師として働くアンドレア。ウナはまだ教会の施設で暮らしていた。2人は接触する機会が多い。ウジンは嫉妬する。ウナはアンドレアへの気持ちをやはり断ち切れずにいる。アンドレアは神にしがみつき、神父を目指しているのだと、じぶんに強く言い聞かせる。神を疑いながら、母を疑い、そしてウナを疑っている。ひどく不安定な状態を綱渡りしながら、アンドレアは神に仕えようと、ひたすらに祈る日々だが…。
ウナは、ウジンの家で、かつてじぶんへ宛てた、アンドレアからのラブレターを発見する。ようやく2人は愛を告白し合う。だが時はすでに遅いのだ。出会った頃とは違う。それぞれに、どうにもならない事情を抱えていた。
しかしウナは、じぶんの死期が近づきつつあることを知り、もう一度愛して欲しいと、アンドレアに懇願する。
アンドレアは、迷う。司祭の叙階の日も近い。迷う、決められない、疑いを払拭できない、神を信じることもできない。ついにアンドレアは聖職服を身につけていること自体に耐えられなくなる。その服を脱ぎ、もういちど名前を捨てた場所へと戻り、考えてみたい。過酷な日々を生きた“ウジン”に戻り、ほんとうは何を欲しているのか、アンドレアは、“アンドレア”という保護膜を脱ぎ捨て、生身のじぶんを陽の下にさらしてみるつもりで教会を出て行った。
周囲の噂のために、すでに教会を出ていたウナは、その話を人づてに聞き、いてもたってもいられずに、アンドレアの居場所へと向かう。
2人は、つかの間の幸福にひたる。ウジンは、ウナの病気を知る。アンドレアは、神父の道を諦めると言い出す。ウナは困り果てる。じぶんは死んで行く身、ウジンを縛りつけることも、アンドレアの未来を奪うこともできない。じぶんはただ死のときまで愛する人に愛される、そんな、ささやかな愛を求めていたにすぎなかった。ウナは責任を感じて2人の男のまえから姿を消した。もう二度と会わない、つもりだった。

(3)ウナに裏切られ、ウナを失くしたアンドレアは、失意の底へ。
そんなとき、ウジンの父が訪ねてきて、あなたの実父を殺したのはじぶんですと告白される。神父さま、どうかわたしを赦してください…。
しかしアンドレアは赦さなかった。激昂し、罵倒し、その場から、逃げ出してしまう。ウジンの父は悲しみを抱えたまま自らの命を絶ってしまう。ウジンが嘆き悲しむ。お前のせいだと、アンドレアを殴りつける。アンドレアは神父としても、もはや未来はない。酒に溺れる日々。もう立ち上がることなどできない。じぶんは一度も神など信じていなかった。母を怨みつづけた。ウナを愛することもできなかった。何も残されていない。ただ空を切るように生き永らえている。人に優しい、秀才の、出来すぎるほどに出来すぎた、かつてのアンドレアの姿は、どこにも見受けられない。生身の“ウジン”が、そのままに写し出されていた。
ウナは隠れて入院していた。アンドレアの状態を知ると、見守るように物影からこっそりと見ていた。それでいいと思っていた。ところが見てしまうと愛しさがつのり、心が張り裂けそうになる。アンドレアを愛している。なのにじぶんは死んでゆくのだ。ウナの苦しみは、ウナを切り刻む。
そのウナの居場所をついにウジンが発見する。ウナの病気のことを知っているウジンは、125分1の確立の、手術への成功のために努力する。伏せられた事実を、アンドレアは知り、ウナの最後の願いである、神父になって欲しいという願いを聞き入れ、じぶんはそのために努力すべきだと、最善をつくした。アンドレアは神父になった。
ウジンの父が遺した手術計画書をもとに、アンドレアとウジンは、ウナの体にメスを入れる。数年後、ウナとアンドレアは、奪い奪われる男女の愛ではなく、神が示した愛を実践しようと、始めたばかりだ。


■感想文
「日常使わない言葉でリアルなセリフを語り、非現実的な設定でリアルな現実を表現した、文学的なドラマ。」

このドラマの柱、本線は、いかにしてアンドレアが背負う十字架の重みに耐え、それを受け入れていくのか、この線に沿ってウジンとウナとの三角関係、周囲の人々の支えや裏切りなどが描かれてゆく。見どころは、アンドレア、ウナ、ウジンが、剥き出しになるところ。背負う十字架と向き合えば、キレイな話では終わらない、もう一歩踏み込んで心の闇を曝け出す、とてもリアルなセリフがいっぱい散りばめられた、さすがオ・スヨン(脚本家)なドラマとなっている。

感想文として、強く書き記しておきたいことは、深く掘り下げられた登場人物たちが、怖いほどリアルに仕上がっていること。その意味においてドラマというよりも、文学に近いと言ったほうがいいかもしれない。エンターテイメントの側から観れば盛り上がりに欠ける、暗く湿っぽい三角関係の話となるが、人物に寄り添い共に心の闇を見つめてゆけば、文学的な薫りただよう、ある意味野心的なドラマとも言えるだろう。以下、主要人物について、私なりに感じたことを(自分への記録として 笑)書いてみる。

――アンドレア。
初回から最終回まで、アンドレアはアンドレアとして描かれている。
これはとても重要なことで、改心して人間が変わりましたとか、目からウロコで完全に理解しましたとか、人物そのものが変わってしまうというふうな、そういった嘘っぱちは一切やっていない。この辺が、エンターテイメントが逆立ちしても追いつかないリアルさ、上手さである。アンドレアは最終回にいたっても、君はまだ僕の友達かとウジンに訊いている。これはどこに繋がるかというと、いっしょにバスケをやってシャワーをあびて、たがいに背中を流し合う場面、第6話に繋がっている。

僕は 友達がいなかった
ずっと
ウナに会うまでは
そして 君に会うまで
どうしてかな
人柄も性格もいいのに

なぁ ウジン
すべてが永遠だといいな
僕には自分の物と言えるものがない
だから 永遠であってほしい
僕のそばにいる人は
永遠に変わらないでほしい
一度愛したら 永遠に愛してほしい
途中で変わってしまったら 悲しいから

君は僕の友達だ
僕は君の友達か?



ここに繋がっている。
つまり、アンドレアは本当の自分を抑えて(隠して)生きてきた。他者に対して一度も心を開いて見せたことはなかったということだ。だから友達が出来ない。とても良い人なのに。
でもやっぱり友達が欲しい。それは寂しいということでもあるし、本当の自分を解放してやりたいという欲求の表れでもある。しかしそれが出来ずにいる。つねに相手の顔色をうかがうように、自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先してしまう、相手に譲ってしまう。それを自分のものにするほど自分自身に価値を見出せずにいる。自分の欲しいものは自分のものになるはずだと信じて疑わないウジンとは、まったく真逆の人物として描かれている。アンドレアとウジンのコントラストは、母の存在、この一点に尽きる。
そうアンドレアは、孤児なのだ。“孤児”という単なる設定ではなく、孤児そのものとしてリアルに描かれている。なにを言うにしても、やるにしても、本当の自分が、そのまま出てしまうことはない。かならずワンクッション置いてから整えられた自分を見せる、そういうやり方に慣れてしまっている。孤児の処世術とでも言おうか、もちろん処世術とは自分を護るためにあるわけだ。ここでフロイトの名を出すまでもなく、母の肯定なくして子は心を開くことができない。自分に価値を見出すことができない。“アンドレア”という保護膜を脱ぎ捨ててしまえば、剥き出しに現れるのは不安定な素のままのウジンであり、アンドレアとは別人のような、うろたえ方、粗暴なさまを見せていた。
このアンドレアは最終回まで変わらずに描かれてゆく。神を受け入れてもなお染み付いて取れないものがある、それが背負うべき彼の十字架である。アンドレアは完成されたのではなく、その途上に在るということだ。十字架を背負ったまま、神に教えられ、導かれて行く者として、リアルに、痛々しく、描かれていた。

アンドレア役のチョ・ヒョンジェさんは、この『ラブレター』が初主演、よく演じられていると思う。とくに、世界から一歩身を引いている、ワンクッション置いて語る、心のうちで人知れず葛藤する…、そういった言葉の外側にある心の動きをアンドレアの存在として伝えているところが素晴らしいと思う。役作りのために、じっさいに神父さまにお会いして取材したというが、俗世間で言うところの純粋な人物とはまた違った聖職者らしさも、本物に、きわめて近く演じられていたと思う。
インタビューに答えるご本人のお話によれば、アンドレアと自分はタイプが違う人間だとおっしゃっていたが、若くして一家の大黒柱となって、父や母の面倒をみながら働いていた経歴から察するに、アンドレアとはタイプが違っても、世の中の荒波にもまれてきた苦労人らしく、どことなくアンドレアの苦労人ぶりと重なるふうに見えるのは、気のせいだろうか…? ただの二枚目俳優を超えてゆける、今後、大注目の俳優さんである。

――ウナ、ウジン。
ウナは元お嬢様だから、気が強くて、わがままだ。自由奔放に育てられたフシがあり、相手の気持ちよりも自分の気持ちのほうが先行する。それが孤児となると心の真ん中がすっぽりと抜け落ちてしまい、バランスを崩し、そのバランスを保つために余計に頑な態度をとってしまう。
アンドレアとウジンの運命のただなかに放り投げられたのは、このウナだった。彼女の背負う十字架は、彼女が一途に愛したアンドレアを、最後まで愛しつづけることができるのかというものだ。お嬢様気質を捨てなければいけない。回を追うごとに、ウナは水のように、なめらかな女性へと変わってゆく。より大きな愛のためにウナはアンドレアを手放すまでになる。もちろん、心を残したままで。ウナはウナとして生きながら、アンドレアのために自分を抑え、身を引き、けれど抑えられない自分を持て余してもいて、最後まで気持ちが拮抗していた。

ウジンについては悪役との評が多いけれど、このドラマに悪役は、1人も出演していない。ただ深く愛してしまっただけだ。ウナに拒まれても諦めきれないほど愛してしまっただけなのだ。それほど1人の女性を愛せる男性は、もっと評価されてもいいように思う。それは愛ではない執着だと、どこかで聞いたことがあるような批判が返ってきそうだが、少なくともウジンの愛は、自己中心的な愛を突き抜けて、アンドレアが学ぼうとしている愛へと、きわめて近づきつつあるように思う。

1つ聞いていい?
あきらめないのは 私? アンドレア?
彼を想う私を愛してたなら 終わりにして
もう私の心にアンドレアはいないわ
だからもうやめて
私を1人にして
1人で生きて死にたいの
もう あなたたちの間に 私を巻き込まないで



第14話での、ウナのセリフだ。
ウジンがしつこく結婚を迫るので、ついにウナは声を張り上げる。
純粋に愛しているのではない。アンドレアに負けたくなくて諦めないでいる。ウナはそう言いたいのだ。
ウジンの背負う十字架は、母の実子ではない、その喪失感であり、生れてしまった後に修正はできない事実である。だから母のまわりをグルグルとまわってしまう。アンドレアとは別の意味での不安定さがある。
ウナの指摘どおり、それもあるかもしれない。だが上に書いたようにウジンの愛は突き抜けてゆく。好きだから好きだという単純なものになってゆく。それでも母の実子であるアンドレアのことが気にかかる。ウジンは最後まで気にしている。

スエさんも、チ・ジニさんも、これが初主演だそうだ。
スエさんの演技は繊細で、目がものを語っている。ちらっと見るだけで表情が変わり、心を伝えている。どうしていいのか分からないといった焦燥感も、巧みに演じていた。
チ・ジニさんは、現代人らしいウジン役を、男っぽく演じている。単なる悪役とは違うから、じつは、チ・ジニさんの役が、いちばん難しいのではないだろうか。ウナを奪いたいがアンドレアを裏切りたくない気持ちもある。しかも母との絡みもあり、母のことも奪われたくない。抱える葛藤が複雑である。それをチ・ジニさんは、母を奪われたくない欲求を中心に据えて演じていたように思う。強弱がつけられている。母との絡みの場面でこそ、素のウジンがより強く現れていた。

チョ・ヒョンジェさん、スエさん、チ・ジニさんと、なんと3人とも初主演のドラマだった。まさに体当たりで演じたドラマ。非の打ち所のない演技というより、バラつきはあっても計測不可能なそれ以上の魅力に溢れている。リアルなセリフがビシビシと入ってきた。誰もが十字架を背負って生きている。それをどう受け入れていくのか。非現実的な設定から人物が立ち上がってくるのは、現実的な問いと向き合っていたからに他ならない。アンドレアの弱さですらも、愛しく、感じられた。



■DVD/その他
チョ・ヒョンジェの日本のファン、韓国訪問 (Yahoo!動画「WIDE NEWS 07/6/8 放送分」)

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