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『善き人のためのソナタ』 ウルリッヒ・ミューエ

善き人のためのソナタ「少なくとも君の作品は愛されてる。
 あふれる人類愛、人間は変わるという信念。
 ドライマン。
 君が作品の中で叫んでも、人間は変わらん」

「1984年、東ベルリン。国民は国家保安省(シュタージ)の監視下にあった。10万人の協力者と20万人の密告者が、すべて知ろうとする独裁政権を支えた」という。
このドライマン(セバスチャン・コッホ)は、それらに耐えて、劇作家として出来る限りのことをしようとしている。しかし時代は許さずに、反体制側の人間であるという証拠をつかむため、今では考えられないほどの執拗さでドライマンたちに密着する。その1つの方法として、家中に盗聴器を仕掛け、24時間、監視するのだ。

その監視する人物が、シュタージのヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)。
この堅物は、「尋問は忍耐強く40時間続けること」、などと学生たちに、なんでもない顔して講義している。間違っても反体制側の人間に感化され、変わることなど考えられない。
この映画は、この堅物でさえも変えていってしまうほどの力を、人間が、作品が、持ち得ているということを、証明しようとしている。

「レーニンはベートーヴェンの“熱情ソナタ”を批判した。“これを聴くと革命が達成できない”この曲を聴いた者は――本気で聴いた者は――悪人になれない」

ベートーヴェンの曲も、劇作家の作品も、それから生きて目にする人間そのものも、私たちを変えるだけの力を持っている。本気で聴いた者は、本気で人間と関った者は、悪人にはなれないのだ。
ヴィースラーは人間と関ったことがない。~主義という傘の下で生きているだけで。そこから一歩外に出て生身の人間と「本気」で関ってしまえば、彼のすべてが崩れ去る。盗聴器を仕掛けることは彼らとの「本気」の関わり合いへと発展する可能性を秘めているから。

この映画の監督さんは西ドイツの人だそうで、たくさんの資料と向き合い、大勢の証言を訊き、そこから真実らしい話を作っていったわけだが、こんな人はいないと言われもし、また東の現実はこんなものじゃないとも批判され、現実は、なかなかに厳しいようだ。
だけど映画というのは現実の写しではないから、リアルであることと、現実にそうだったということとは、別次元の話だと思う。
出来上がった映画を最初から最後まで観てしまえば、この監督さんの才能の素晴らしさを私は感じたけれども…、それでも「人間は変わらない」というのが、やっぱり現実なンだろうな(笑)。だからこそ、この映画の存在価値が、あるというものでしょう。

じつのところ、~主義の傘の下で生きている人って、未だに存在していると思う。時代が自由を謳歌すればするほど、この曖昧な「私」を拘束し、導いてくれと言わんばかりに、「私」を規定してくれる何かを求めてしまうのかも。逆走している、そう感じられる場面が、私ですら、幾たびも遭遇し…。その意味に於いても、この映画の存在価値はあると思う。本気で聴くことや、本気で誰かと関ることの、難しさを思えば。
旧東ドイツの実態を観るのが正しい(?)この映画の観方なのだろうが、そんなことまで深読みさせてしまう力が、この映画には、あると思う。

2006年ドイツ映画。第79回アカデミー最優秀外国語映画賞受賞。
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演:ウルリッヒ・ミューエ (ヴィースラー大尉)、マルティナ・ゲデック(クリスタ=マリア・ジーラント) 、セバスチャン・コッホ (ゲオルク・ドライマン)、ウルリッヒ・トゥクール 、トマス・ティーマ 、ハンス=ウーヴェ・バウアー 、フォルカー・クライネル 、マティアス・ブレンナー

善き人のためのソナタ スタンダード・エディション
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