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『トンマッコルへようこそ』 シン・ハギュン/チョン・ジェヨン/カン・ヘジョン

トンマッコルへようこそ「イノシシが来たら左手で首をつかんで、右手でイノシシの目を3発殴る。イノシシは、アザのできた目で家に帰り、仲間にこう言うだろう。“トンマッコルに行くな。怖い村だ”って。そうすれば二度と来ない。もしお前が目を殴られたらどうする?」

「仕返しをしに行く」

「……じゃあ、殴っちゃダメだな。イノシシに仕返しされたら大変だ」

韓国映画を観ていくと、朝鮮戦争を扱った作品が、とても多いことに気づかされる。どういうテーマで映画は作られていったのか、せめて過去20年ほどさかのぼって統計を出してくれる所があれば、その数字をもとにハッキリと言えるのだろうが…、日本語字幕付きで観られる作品は限られているとはいえ、個人的な感想として、この北と南の確執、その戦争が、いかに韓国の人々の興味の対象として支持され続けてきたのか、映画を観ただけでも感覚、ニュアンスとして理解できる。

映画『トンマッコルへようこそ』もまた、舞台設定が1950年。登場するのは、韓国軍、人民軍、連合軍と、まさに朝鮮戦争。これを真面目に語る映画は、すでに大御所がやりつくした感もあり、新しく語り直すために、新人映画監督・パク・クァンヒョンさんが持ち出してきたのは、なんとファンタジーとして語るという手法だった。劇作家のチャン・ジンさんとの共同脚本(演劇が先)なンだそうで、「やられた!」と悔しがる同業者が、複数人いたと想像する、笑。

韓国では、ファンタジーは興行的に失敗するのだそうで、ましてや朝鮮戦争である、この手法は、たぶん誰も思いつかない(やらない)。現実とのバランスが取れないし、興味のない人たちを引っ張っていくだけの仕掛けがより必要となるだろうし。なぜ出来たのかと考えてみれば、じつはこの監督さん、CM監督として有名な方で、数々の広告賞を総ナメにした実力の持ち主だったのだ。ほんの数秒間のあいだに購買欲を刺激し、観ている人を動かすだけのチカラがある、そこを日々鍛えられているのだろう。ファンタジーと朝鮮戦争を現実に馴染ませて、かつ興行的に成功させる離れ技は、ひょっとしてCM業界の人には得意分野かも? 映像と音楽だけで、お客を引っ張っていける。芸術的に深めるというよりも、さらりと表面を撫でながら飛躍し、けれども本質を捉えていく。具体的には、蝶々、ポップコーン、イノシシ、など。

↑上に抜き出したトンマッコルの村民たちの会話が、素朴だけれど、単純で、正論だ。「……じゃあ、殴っちゃダメだな」、そう言えたら、どんなにか幸せだろうと思わせる。そう言えないところに戦争の救い難さがある。単純だったものが、どんどん複雑になっていく。誰にも手が付けられないところまで追い込まれていく。私たちはいま、どうにもならない所に立たされて、過去に仕出かした数々の過ちを清算すべく、知恵を出し合い駆け引きし合い、それでもなお過去に打ち負かされながら、消耗しつつあるように思うのだ。

「あなたは、怒鳴ることもなく――
 村人を、うまく統制している。
 その偉大な指導力の秘訣は何ですか?」

「たくさん食わせること」

人民軍の中隊長が、トンマッコルの村長に質問する場面だ。
「たくさん食わせること」もまた、素朴で単純、しかし政治の基本だろう。難解な応用問題とばかり格闘し、いつの間にやら基本が疎んじられ、誰のための政治なのか、それすらも曖昧になりつつあるなかで、“子どものような純粋な村”の人々は、あたりまえのことを、あたりまえに行っている。まるでジョン・レノンの『イマジン』のように。子どもにも分かる、やさしい言葉で、素朴に語る。事態は複雑になればなるほど振り出しに戻る。映画は時代を反映している、などと、紋切り型をやるつもりはないが、答えの出ない過去に縛られて、うんざりしていることは、確かだ。

じつのところ、どの戦争も、同じ戦争は1つもないのだが、この映画は戦争という、どの戦争にも共通する意識が働いている。気難しい人に言わせれば、朝鮮戦争なら朝鮮戦争を描くべきだと批判が返ってくるだろうが、かならずしもそうである必要はないと思う。
『トンマッコル~』がファンタジーを選択した時点で、共通の意識を働かせる方向へと向かってしまう。現実から飛躍させ、そこから逆に現実を照らし出していくわけだから。その分、韓国人ではない私にも、共感して観ることが許されている。戦争の描写を厳しく出していく方法もあるし、『トンマッコル~』のようにファンタジーとして表現することもできるわけだ。なんにせよ、観た人が、戦争を思う気持ちになりさえすれば、それでいいのじゃないだろうか。

久石譲とパク・クァンヒョン監督ロング対談も興味深い↓。

久石「この音楽は沖縄のスタジオを借りて作曲してたんですね。それで、蝶々のシーンの音楽なんかは、沖縄音階なんですよ。不思議感を出したかったんで、たまたまいた環境がそういうとこもあったので。結果、すごくいいことが起きたなと思いました」

音楽監督を務めた久石譲さんの、「沖縄~」には、驚いた。
韓国では6人に1人が観たというから、興行的にも成功している。
韓国だ日本だと騒いでいる人々は、やはりどこか間違っていると思う。

この映画を観て「連合軍が悪いと言っている」と判断するのは早計だ。勧善懲悪ものに慣れてしまうと、良い人、悪い人を分けて考えてしまうようだが、もう時代はそんなところには無いし、分けられないからこそ事態は複雑化を極めているのだ。あの仮面ライダーでさえも味方同士で戦っていた、2、3年前の話だけれども。
スミスも味方を殺してしまう。その後味の悪さを味わってほしいのだと思う。この映画はファンタジーでありながらも、そういう後味の悪さが残る。良い人、悪い人と、分けることができるなら、この映画が抱え込んだ葛藤そのものが、そもそも崩れてしまうし、映画にする必要もなくなってしまう。敵も味方もない、この映画は、そこから出発している。

それにしても――。
またこの話になる、笑。
韓国の役者さんたちは、ほんとうにみなさん一生懸命だ。『トンマッコル~』でもそれを実感する。とくに、ヨイル役のカン・ヘジョンさんの天使ぶりが印象に残った。1つ、1つ、ものを覚えていくなかで、1つ、1つ、なにかを失っていくのだろう。このうえもなく純粋であることは、ほとんど無防備なバカと同義語だが、時代が混乱をきわめるほどに、この純粋な眼差しが求められていくのだろう。まるでその眼差しに答えを求めるように。すがるように。トンマッコルの村は、彼女の眼差し、そのものだった。

2005年韓国映画
監督:パク・クァンヒョン
出演:シン・ハギュン(ピョ・ヒョンチョル)、チョン・ジェヨン(リ・スファ)、カン・ヘジョン(ヨイル)、イム・ハリョン(チャン・ヨンヒ)、ソ・ジェギョン(ムン・サンサン)、リュ・ドックァン(ソ・テッキ)、スティーヴ・テシュラー(スミス)
公式HP

トンマッコルへようこそ
関連商品
サッド・ムービー
グエムル-漢江の怪物- スタンダード・エディション
フラガールスタンダード・エディション
王の男 スタンダード・エディション
トゥモロー・ワールド プレミアム・エディション

COMMENTS



御無沙汰しております。m(_ _)m

こんばんは!

しばらくお休みしてらしたのですね。
私も年の瀬に転職をしたので(パートですが)、心身共に落ち着かない毎日でした。
ようやく正月休みになり、ちょっと余裕が出来たので、遅まきながら…。
『トンマッコル』の感想でもと、思いました。


 朝鮮戦争をファンタジーに?
同じ民族同士で殺し合ってしまったあの戦争を、どう映画で料理したらファンタジーになるの?
私は韓国の公開時、ネットの情報でこの映画を知り、首を傾げました。
でも、一昨年、映画館で予告編を観たら無性に観たくなってしまったのです。
少し露で湿ったような心地よい自然の緑、現実からは隔絶したような古風な村、弾けるポップコーン。
その映像からトンマッコルは国境や民族を越えた桃源郷なのだろうと、私は直感したのです。
そして俳優も良い。常々私が、燻し銀のような風合いの「いい男~♪」と思っている、シン・ハギュンとチョン・ジェヨンが主演だ…。
たった数分の予告編でこれだけ期待度が高まるのは、成る程…、監督はCM出身だったのですね。itu:kairouさんの感雄を拝読して、納得してしまいました。

 確かにこれは朝鮮戦争を題材にしています。
シン・ハギュン演じる韓国軍の軍人が関わったあの事件…。漢江の橋を避難民もろとも爆破した事実に基づいていますし…。
それに実際戦場では部隊とはぐれて行く方知れずになる兵士は少なくなかったでしょう。つまりこの映画は彼らがトンマッコルに迷い込むまでは至極現実的な戦争映画なのです。
 ところがトンマッコルに入ったとたん、映画はファンタジーになってしまう。
史実の朝鮮戦争を飛び越えて、ただの「戦争」になってしまった!
しかしそのファンタジーが至極真っ当な人間の在り方だったりするから、この映画は面白いと思うのです。

「あなたは、怒鳴ることもなく――
 村人を、うまく統制している。
 その偉大な指導力の秘訣は何ですか?」

「たくさん食わせること」

なんて根元的な政(なつりごと)なのでしょう。
そして村人を中央に挟んで銃を構える南北の兵士達…。
兵士と村人のどちらが正気で理性的かというと、もちろん無学で非文明的な村人の方に違いない。
戦う愚かさやイデオロギーなどは、ポップコーンと共にパーンと弾けて消滅してしまうような詰まらないシロモノです。

つづきです。

>『トンマッコル~』がファンタジーを選択した時点で、共通の意識を働かせる方向へと向かってしまう。現実から飛躍させ、そこから逆に現実を照らし出していくわけだから。その分、韓国人ではない私にも、共感して観ることが許されている。戦争の描写を厳しく出していく方法もあるし、『トンマッコル~』のようにファンタジーとして表現することもできるわけだ。なんにせよ、観た人が、戦争を思う気持ちになりさえすれば、それでいいのじゃないだろうか。<

私はitu:kairouさんのこの文章にとても共感しました。
そうなんですよね。
この映画を通して、観た人が戦争を考えてくれるようになれば良いのですよ。

 ちょっと個人的な事で申し訳ないのですが…。
実はこの映画を観に行く時、私は中学生の娘と一緒でした。
親の強制で引っ張っていったのではなく、この映画のチラシを眼にした本人が「一緒に行きたい」を言ったのです。
何故かと言えば、緑がきれいだから。カン・ヘジョン演じる少女の表情がユーモラスだったから。

 観せて正解でした。
若い子の眼にも楽しく、美しいシーンが多かったのも良かったのですが、戦う事の愚かさや残酷さ、暴力の無意味さも感じてくれたようです。

 思えば彼女の小学校時代、世界は激動期でもありました。同時多発テロからアフガン戦争、そしてイラク戦争。
遠い異国の戦いではあっても常にニュースで見聞きしていたので、子供ながらも戦争と言うものが頭の片隅にあったのかも知れません。
否応もなく市民が巻き込まれていく現実を眼にしていたのですから。

 観た後に彼女はこんな事も言っていました。
「トンマッコルの村人もひどいよね…。最後の方で兵士達が自分たちを守るために戦って死んでいくのに、爆発やその閃光を遠くから花火を見るように眺めて『きれい!』とか『わー!』とか歓声挙げているんだよ…。」
私もその1シーンが印象に残っているのですが、
村人にとっては涙の別れをした兵士達とその爆発や空爆が全く結びついていないのですね。
これは純真無垢であるが故の一種の残酷さでもあると思います。
それをさりげなくしっかり描いているところに、この映画のファンタジーをも越えたリアルさを感じました。
itu:kairouさんが書いていらっしゃるように、勧善懲悪ではくくれない後味の悪さがあるからこそ、この映画は素晴らしい。

 何だかまとまりが無くなってしまいましたが、思うところを書いてみました。
久石譲と監督のお話も興味深かったです。紹介して下さり、ありがとうございました。

namomo さんへ

あけましておめでとうございます。
そして、お仕事お疲れさまです。いまやパートも社員も変わらないですよ。去年は派遣さんがどれだけ大変か、ニュースでも随分とやってましたけど、働いてお金を貰うのって、大変ですよね…、ほんとに、お疲れさまでした。まだまだ寒い日が続きますので、どうぞご自愛くださいませ。そしてご家族の方々と、たのしいお正月を!

>少し露で湿ったような心地よい自然の緑、現実からは隔絶したような古風な村、弾けるポップコーン。
その映像からトンマッコルは国境や民族を越えた桃源郷なのだろうと、私は直感したのです。

うんうん(頷く)。考えることに、疲れてしまったのだと思う。あのカン・ジェギュ監督が映画を撮るために、じっさいに資料を集めて話を聞いて取材していくなかで、思考停止状態となり、涙がとめどなく流れたと、インタビューに答えていましたが、歴史を知っていれば日本人としては、そこでヒトクサリあるわけじゃないですか。でもそれは日本人の捉える歴史であって、ともかく北と南は分断されており、それを韓国の人たちは心に病んでいて、ずっと考え続けてきたのだと思います。そのタイミングで、ファンタジー映画として描いてみせた、という流れだと思います。「少し露で湿ったような心地よい自然の緑」、ほんとに、心地よい緑でした。

>燻し銀のような風合いの「いい男~♪」

namomo さん、表現が面白いですね。燻し銀ときましたか。しかも風合い、って(笑)
確かに、いい男♪

>史実の朝鮮戦争を飛び越えて、ただの「戦争」になってしまった!

そうそう、それはありますね。ファンタジーへと切り替えた代償として、ただの「戦争」になってしまったのですよ。ここはnamomo さんの言葉をお借りして、もう少し強めに書いておきます。

>戦う愚かさやイデオロギーなどは、ポップコーンと共にパーンと弾けて消滅してしまうような詰まらないシロモノです。

ちょっと感動してしまいました…。ほんとに、そうですよね。弾けてなくなってしまえばいいのだ。

namomo さんへ

中学生の娘さんと一緒に観に行かれたのですねv-410

>思えば彼女の小学校時代、世界は激動期でもありました。同時多発テロからアフガン戦争、そしてイラク戦争。
遠い異国の戦いではあっても常にニュースで見聞きしていたので、子供ながらも戦争と言うものが頭の片隅にあったのかも知れません。
否応もなく市民が巻き込まれていく現実を眼にしていたのですから。

あの時は凄かったですね。だってLive映像として、どんどん入ってくるわけだから。子どもの目には、ショッキングな映像だったと思います。「否応もなく市民が巻き込まれていく」という所が、怖ろしいです。私が何もしていなくても、頭の上からミサイルが降ってくる、こんな怖ろしいこと、ないですよね。この話を書くと、長くなりそうです(苦笑)。

>「トンマッコルの村人もひどいよね…。最後の方で兵士達が自分たちを守るために戦って死んでいくのに、爆発やその閃光を遠くから花火を見るように眺めて『きれい!』とか『わー!』とか歓声挙げているんだよ…。」

という所に気づいて貰えれば、監督さんとしては嬉しいのじゃないでしょうか。
ファンタジー映画として、終始楽しんで終わりました、というお客さんも、ひょっとして、いらっしゃるかもしれません。きれいだね、面白いね、で終わってしまう方々が。
そうではなくて、なんとなく違和感が残る。よく考えると、なにかがオカシイ。ファンタジー映画で、わりと分かりやすい作りなのに、じつは難問を残している、というのが、この映画の深いところだと思います。

というわけで、今年もよろしくお願いします m(_ _)m

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