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『生き残った者の悲しみ』 イ・ビョンホン (2)

6話.彼らは飛び込んでいった/7話.彼らは投げられた/8話.彼らは世間へ/9話.彼らは羽を広げた/10話.彼らは道を進んだ

ララ、ディディ、そしてチャミョンの3人は、それぞれの道を歩み始める。
ほんの少しのズレが関係性を壊し、別々の道へと押し出したのだ。
出会いから、すれ違い、ジレンマ、持て余した情熱、まっすぐに愛せない現実、それらが1話~5話までの間に演じられていたとすれば、6話~10話までの中心は、更に発展させた(ズレが深まった)現実を前にして立ちつくす3人の姿が描かれている。

ララを待ちながら考えた
ララがいる場所と僕がいる場所 どちらが現実なのか
僕は信じていた ララも僕も現実の中で生きる若者だと
でも人に ここにいる理由を聞かれたら どう答えただろう
以前の僕は答えられた
『生き残った者の悲しみ』/6話(チャミョンのナレーション)


ララのいる場所と、僕のいる場所は、まるで別世界のようだった。
学生運動の準備のため学内に居残っていたララの後ろ、カチャカチャと、ガラス瓶の擦れる音がして、ララのいる場所の現実が、この何気ないワンシーンの中にも映されていた。あれは火炎瓶ではないのか。ごくフツーに作業している。ときに笑顔で。
そのララを待つ僕は、外が暗くなっても植え込みに腰かけて、ララのいる部屋の窓を見上げている。いまにも階段を駆け下りて来てくれるだろうと期待しながら。
どちらが現実なのかとチャミョンを悩ます。
信じられなくて。革命は闘争、闘争は破壊、力には力で対抗する。
そういう現実を生きるララが、信じられなくて。
僕のいる場所と、あまりにかけ離れていて。
それでもチャミョンは「信じていた」と言う。
でも理性では、理解していたのだ。「以前の僕は答えられた」と。
もう僕には答えられない。ララとチャミョンは、すでに別々の道を歩み始めていると。
そのことをチャミョンは知っていたのだ。


友人A「親しい友人なら思想的にも同じじゃないとな」
友人B「どうしてララと行動を共にしないんですか? 特別な関係だと思ってたけど」
チャミョン「行動を共にしなくても思想的には同じです」
友人A「実践しないのなら意志は死んだも同然だろ」
友人B「まして愛する女性なのに 女は男に影響されることもあるけど男は違うわね 男性優越主義じゃない?」
友人C「学習会では寝てたからだ ああじゃなければこれ そういう思考は捨てよう 充分討論したはずだ」
同/7話


サークルの合宿中での会話。
危険を冒してまでも正義のため活動する者にとってみれば、チャミョンはズルしてオイシイ所だけを持って行くような、狡猾な腑抜けに見えてしまうのだろう。「実践しないのなら意志は死んだも同然だろう」と。血は血を求める。自分1人が血を流すのでは納得がいかない。グロテスクな会話だ。
それに対して友人Cが助け舟を出している。「ああじゃなければこれ、そういう思考は捨てよう」。二者択一の思考で言えば、活動するか/しないか、この2つしかない。どう活動するのかが問われていないのだ。そのことを友人Cは指摘している。

しかし、ここで重要なのは、思想的に同じかどうかではなく、行動を共にするかどうかなのだ。
ララとチャミョンは、「行動を共にしなくても思想的には同じ」でも、行動を共にしないことで、結果として別々の道を行くことになる。

ララ「自分がニセ者に思える時があるの
純粋で誠実な活動家になりたかった
革命のための革命を叫ぶ時があるの
街頭デモで 涙と敗北だけだったのに 我々は勝利したと叫ぶ」
チャミョン「活動家共通の悩みだよ
現実はそんなに楽観的じゃないから 士気を高める必要があるし」
ララ「それは正しいのかしら
ニセモノの革命より 正直な敗北の方が 発展的じゃないかな
戦いのための戦いをしているみたい
胸が痛むわ ニセモノの勝利で自己を慰めないと
私達には確信がないのかも」
チャミョン「ララは? 確信がないの?」
ララ「私は、確信を失いそうで」
同/9話


“集会とデモに関する罪”で逮捕され、被告人として法廷に立ったのち、シャバに出てみれば、これまでの景色が別ものに見える。8話のほぼ4分の1をぶち抜きで見せた、ララの最終弁論は、あれほど雄弁であったにもかかわらず。彼女は自省する。本物の活動家になるために、これまでの自分では「ぬるい」と考えているのだ。そんな時、ミヘ先輩が火だるまになって死んでいく。「この世は正義が通用しません。正義は勝利します!」と群衆に向かって叫び、私は正しく生きたいと、心で呟きながら。

ララ「(チャミョンに向かって)先輩は 私が真の活動家だと思う? 違うわ
自分がマイクで叫んでいる言葉に共感できなかった
そんな自分に恥じることもせず この程度なのに 活動家として立派な経歴を持ち
聴衆の拍手に感動していたの 私はニセモノなの もう耐えられない」
同/9話


この告白を聞いたチャミョンは、苦しく、リーダー的存在であった友人のもとへと駆け込んだ。

チャミョン「ララはダメだ 現場行きをやめさせてくれ」
友人「ララの意志なんだ 誰も強制していないよ」
チャミョン「誰も強制していないだろう 
だけど その選択をさせたのは誰だ? 現場の話をしたのは誰だ? 
――ララに現場生活は無理だ」
友人「純粋なぶんだけ誰よりも強い」
チャミョン「その純粋さを利用するのか? 影の黒幕気取りか?
後輩を監獄に行かせ 殉教者を出し 活動が勝利したと叫ぶだけじゃないか」
同/9話


ララは、闘争の現場へと行ってしまう。
そこは何かの組み立て工場らしく、「労働執行部幹部組織図」、「労働者の福利厚生を改善させ正当な待遇を望む」、「労働組合を主体にして自治組織立ち上げ」、などの言葉が見える。要するに、学生が街頭で、過激なデモ活動を思想的に漠然と行うのではなく、じっさいに職場へ出向き、ただの労働者に成りすまして活動するという、より実践的な闘争の場へとステージを変えたわけだ。それがララの言う確信を得るという意味なのだろう。

ここで注意して見たいのは、
ララのような成りすましの労働者と、そうではないフツーの労働者のコントラストだ。
歴史に刻まれる言葉は太い筆書きで、たとえば「学生運動」と書かれ、そういう時代だと了解される。丁寧に拾っていきさえすれば、事実は違っていたりするのに。
原作ではどうなっているのか知りたいところだけれども、少なくともドラマのなかでは時代を動かした大きな力だけをヒロイックに描くのではなく、そうではないフツーの労働者、一般市民をも、漏らさずきちんと描いているところが素晴らしいと思う。
(1)の記事下に書いたとおり、ドラマが主義主張の道具と化すれば、どちらかを意識的に切り捨てる必要が出てくる。活動家寄りであれば、すべての人々が飢え苦しみ不足を味わう描写だけを集めて繋いでいくだろうし、反対に、アンチの姿勢を貫くとすれば、すべての人々が嘲笑する画を繋いでいくだろう。そういった操作を行わない、できるだけ中立の立場で歴史を個人的に振り返るという、とても好感の持てる場に、このドラマは立脚している。あのフツーの労働者の、フツーの描写。休憩中の、和気あいあいとした様子など。ララだって、そのなかで健康的に笑っていたはずだ。ちょうどチャミョンと同じ立ち位置で。ひとりで勉強している女の子に勉強を教えてあげたい、そんな素朴な思いで勉強も教えている。これでいいような気がしてくる。ところが――、

仲間「どうしてあんな危険なことするの?」
ララ「疑われてないわよ 進学したかったって 言っておいたから」
仲間「あの子ひとりを騙せればいいの? 
大学に通っていた人は言葉や行動が違うの こういう所では目立つのよ」
ララ「だけど あの子の少しでも役に立ちたいのよ」
仲間「もっと大きな役に立つことがある
あんた ここまで 家庭教師をしに来たの? それなら他でもできるわ」
ララ「私 ここに来るまで 人の役に立つ実感を感じたことがないの
社会に憤ったこともあるけど 相手が巨大で絶望したこともあった 
私の考えが間違っていると言うかもしれないけれど 小さな苦しみを共に分かち合うことが大切だと思う」
仲間「もういい そんな考えなら出て行って
私たちが危険にさらされるわ」
ララ「私のせいで迷惑かけたなら謝るわ
勉強教えるの やめるわ」
仲間「あなたの気持ちは分かるけど 私たちには大きな目標があるの」
同/10話


大きな目標のために、ララは多くの希望を犠牲にした。
チャミョンのことも置き去りにして、犠牲にした。
いつかララは帰って来るだろうとチャミョンはそれでも信じて待っていた。
ララは帰って来ない。チャミョンはそう言っている。

黒幕気取りかとチャミョンに罵られた友人は、時代が過ぎ去った後に言っている。
「社会人になってみれば親のことだけが気にかかる」と。
そこにチャミョンのナレーションが入る。
「未来のことは誰にも分からない。僕らが信じたのは“最善の選択”というものだった」

ディディ「世の中ウソばかりね?
人も何もウソがまかり通り 欲望がうずまく世の中ね けっきょく私もニセモノ(略)
私は正直に生きたかった 人にバカにされず生きたかったの
でもすべてウソだった こんな人生もうイヤ」
同/7話


たしかに愛されている実感のないチャミョンを見切り、ディディは新たな恋へと進んで行く。
妻子のある中年男性で、幼子のように手を差し伸べるディディには、求めている実父の代わりとなる、心地の良い相手と感じられたのだろう。
「1人で立つのがこんなに難しい。堂々と立ちたい。なのに必ず誰かがジャマしようとする」と、相手の男性に訴えている。巨大な社会にぶつかり、彼女もまた挫折の繰り返しだった。

ララの言う「ニセモノ」と、ディディの言う「ニセモノ」。
そして2人とも、巨大な社会に体ごとぶつかっていたのだ。
時代を分けた、あちらと、こちら側で。

僕が愛した人たちは それぞれの道を進んだ
ある時は互いを必要とし 愛という名で共に時を過ごした彼ら
何のつながりもない場所で 自らの出口を探していた
同/10話(チャミョンのナレーション)



つづく。

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COMMENTS



あれこれ…

こんばんは!
少し春が近づいてますね。花粉も飛び始めて、結構つらいです。
お元気でいらっしゃいますか?

『生き残った者の悲しみ』の(2)ですね♪

 今回私はこのドラマを観直して、改めて良くできているなと思いました。
二つの時代を行き来するから、分かりにくいと思う人もいるかも知れませんし、地味で古くさく感じる人もいるかも知れませんが、じっくり観るといろんな事を感じます。

>できるだけ中立の立場で歴史を個人的に振り返るという、とても好感の持てる場に、このドラマは立脚している。
 
itu:kairouさんの仰る通りだと思います。学生運動をヒロイックに描くのではなく、さりとて批判的でもない。あの時、行動出来ずに「生き残った者」の視点で描かれているからこそ、混乱の時代が浮かび上がってくるような気がします。

 私にとっての学生時代ははるか昔の事ですが、チャミョン・ララ・ディディの3人を観ていると、「若者のすべて」という言葉が思い出されます。(ルキノ・ビスコンティーの映画に「若者のすべて」という作品がありますが、関連はありません…。ただこちらも「若者のすべて」と言うよりほか無い映画ですが)
つまり若い頃のあれこれがこの3人に凝縮していると感じるのです。
 
世の中にも自分にも疑念を持ったり、行動は起こさないがそれを後ろめたく思ったり、待つ事は悲しいのだけど、好きな人をどうしようもなく待ち続けたり…。
 純粋に1つの事に突っ走ってみたり、時に自分が「ニセモノ」に感じたり、迷いが生じても迷う事自体をいけない事と思ったり…。
 淋しいのに、愛されたいのにゴツゴツと好きな人にぶつかって、1人で傷ついてしまったり、相手を傷つけてしまう。そして挫折して自暴自棄になったり…。
 社会や世間と折り合いをつける事もままならず、組織に属せば飲み込まれ、組織に属す事も出来なくて立ちすくんでしまったり…。などなど…。

つづく

ララを中心に考えてみました。

つづきです

 ララは自分の事を「ニセモノ」と感じていました。
逮捕され、裁判であんなに立派な態度だったのに…。
私からするとララが「ニセモノ」だったら、いったい誰が「ホンモノ」なのか教えて欲しいです。
 ララは頭の隅っこで実は分かっていたのかも知れません。彼女がどっぷり浸かっている活動が本当に社会を変えられるのか、そしてそれが本当に正義なのか。
ララは疑問を持ち始めている事を認めたくはなかったと思いますが…。
 闘争の現場に出てみると、本当の労働者と「なりすまし」には壁がありました。
ララは本当の労働者の役に立ちたかったけれど、活動の組織はそれを許さない。いったい何のための誰のための闘争なのか?itu:kairouさんも書いていらっしゃるけれど、この辺は本当にこのドラマは素晴らしいです。

ただそんな疑念がわいた時点で、私はララに立ち止まって欲しかったです。
そして退却して欲しかった…。
でもララは純粋だから仲間や組織を裏切るのは悪だと思うでしょう。正しいと信じる道を引き返せば、余計に彼女は「ニセモノ」になってしまうと思うのでしょう。
 
 ララが闘争の現場に出る前に、地方に左遷された父を訪ねます。その時ララは
「ごめんなさい。もし私が間違っているのなら、そう言って。もう止めますから」
みたいな事を言います。すると父親は
「自分が間違っていないと思うなら、謝る必要はないよ。」と優しく娘に言うのです。
 前の(1)の時にも書きましたが、ララの父は良くないと、私は思いますよ。
この時、父はララの退路を断ってしまったような気がします。彼は自分の出来なかった事を娘に託そうとしたのでしょうか。
例えばこの時「押して駄目なら引いてみな」とか、
「ララは間違ってないし、充分頑張った。でもここらで父さんと母さんを安心させておくれ。デモや衝突で社会は変えられないなら、他の方法を考えるんだ。今は勉強して自分の力を蓄える時かも知れない。」
そのような事を言ってくれたら、ララはこの時素直に聞いたかも知れないのに…。

 この後ララは非常に辛い目に遭いますが、純粋なララは自分の信念を曲げても家に逃げて帰る道を決して選ぶ事はなかった。ましてや仲間や組織を裏切る事など出来なかったでしょう。このような退路を断つ生き方は潔よいかも知れません。しかし、大抵生命をも無くす事が多いでしょう。(涙)

 一方ディデイはほとんど世間と1人で戦っているから、すぐに傷ついて立ち止まったり退却せざるをえなくなる。その都度チャミョンを呼んで、心の回復を図りながらまた戦う。
そして少しずつ社会や世間の「ニセモノ」と折り合いをつけるすべも身につけていくのですね。

 私はふと思いました。ララにとって「ニセモノ」は自分の中にある。ディディにとっての「ニセモノ」は自分の回りにある。そしてディディは「ニセモノ」に染まる自分も大嫌い。

 混迷を深めるドラマの中盤、チャミョンも会社を立ち上げて1人で社会に出て行きますね。あの時代をかみしめるように振り返れば、自分の良心のために、司法試験を受けないと決心するのも理解出来ます。
 結構彼も茨の道を選んでいると思いました。「生き残った者」はずっと静かに自分と戦わなければならないのですね。

 上手く考えがまとまらなくて、それなのに私は長くダラダラ書いてしまいました。済みません。

花粉の季節、汗

namomoさん、こんばんは。花粉症ですか?v-400
ツライですね。じつは私もなんです。引越しの繰り返しですが、6年くらい前に奈良で暮らしていたとき、突然花粉症になりまして、他人事だったのに(笑)、経験者でなければ分からないです。おたがいに、病院の薬とかもらってきて、花粉症の時期を、なんとか耐え忍びましょう、泣。

それで頂戴したコメントですが、なんか読み入ってしまいました。
「若者のすべて」! ひと言で言うと、そういう感じだと私も思います。
もちろん、その時代特有のテーマにもとづいて作られているのだけれど、その下には普遍的なテーマが敷きつめられています。だから、どの時代の若者でも、必ず共感できる部分があると思います。私はもう若くないので(笑)、「いちご白書をもう一度」的に見てますが、ここがちょうどnamomoさんから頂戴したコメントの、読み入ってしまった文章が続くところです。「世の中にも自分にも疑念を持ったり~」のくだりです。

うんうん(頷く)。

>純粋に1つの事に突っ走ってみたり、時に自分が「ニセモノ」に感じたり、迷いが生じても迷う事自体をいけない事と思ったり…。
私など、モロに↑これですね。「若者」という病気にかかったみたいに。今思えば「なにやってンだ」、って苦笑ものですが、精一杯、「若者」という病気にかかっていました。

>淋しいのに、愛されたいのにゴツゴツと好きな人にぶつかって、1人で傷ついてしまったり、相手を傷つけてしまう。そして挫折して自暴自棄になったり…。
これも↑思い当たるフシが…、笑。
隅から隅まで思い当たるフシが。
「若者のすべて」だと思います。

つづきです。

>私からするとララが「ニセモノ」だったら、いったい誰が「ホンモノ」なのか教えて欲しいです。

そうなんですよね…。
14話まで、見ました。チャミョンも言ってたけど、じゅうぶん努力したと思うんですけど、ララちゃんはそう思わなかったみたいで…。

>でもララは純粋だから仲間や組織を裏切るのは悪だと思うでしょう。正しいと信じる道を引き返せば、余計に彼女は「ニセモノ」になってしまうと思うのでしょう。

ここなんです。引き返すことが難しいのですね。私も、覚えがあります。
だけど引き返すべきだよね。すごく難しいことなんだけど、引き返すべきです。
ああだけど若い頃はそれが出来ないのだよなぁ。
見てて、気持ちは分かるんだけど、引き返すべきだよ、ってついね、胸の内で、思いました。

>ララの父は良くないと、私は思いますよ。
>「ララは間違ってないし、充分頑張った。でもここらで父さんと母さんを安心させておくれ。デモや衝突で社会は変えられないなら、他の方法を考えるんだ。今は勉強して自分の力を蓄える時かも知れない。」

これと似たことを、チャミョンが言っていましたよね。お父さんより、チャミョンの方が、ララの心の近くに存在していたのだろうなぁ、って思いました。
でもnamomoさんがおっしゃるように、やはり父親の方が権限持ってますから、ララを止めるのは父親しかいなかった、とも思いました。

>このような退路を断つ生き方は潔よいかも知れません。しかし、大抵生命をも無くす事が多いでしょう。(涙)

理想に生きて、理想に死んだ、という感じで、個人的な幸福とか肉体的な実感とか、そういった所から、ほど遠い、非現実的な生き方でしたね。命と引き換えてもいいという、潔さは壮絶です。

>ララにとって「ニセモノ」は自分の中にある。ディディにとっての「ニセモノ」は自分の回りにある。そしてディディは「ニセモノ」に染まる自分も大嫌い。

的確で、ハッとしました。
そうですね、中と外の違いですね!
目から鱗です~。

>結構彼も茨の道を選んでいると思いました。「生き残った者」はずっと静かに自分と戦わなければならないのですね。

うんうん(頷く)。ここはツライです。
終わりがないですね。ずっと苦しみ続ける。
ひょっとして、韓国ではチャミョンのような方々が実在していて、かつての仲間たちが流した血をどう償えばいいのかと、苦しみ続けている方も、なかには、いらっしゃるのかもしれないなぁ、って思いました。

>上手く考えがまとまらなくて、それなのに私は長くダラダラ書いてしまいました。済みません。

いえいえ、そんなことないです!
っていうか、私の『生き残った~』記事は、ほんとに、メモです、笑。

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