スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『生き残った者の悲しみ』 イ・ビョンホン (1)

生き残った者の悲しみ パーフェクトボックス『生き残った者の悲しみ』/イ・ビョンホン(DVD)
原作(パク・イルムン) 監督(イ・ミンホン) 脚本(ホン・ヨンヒ) チャミョン(イ・ビョンホン) ララ(シン・ユンジョン) ディディ(ナ・ヒョンヒ)
1988年ソウル五輪前後、軍事政権から民主政権移行の激動の韓国。その時代を生き抜いた青年の愛と悲しみをリアルに描いた青春ドラマ。

内容の濃いドラマで、メモがたまってしまった。
1話~5話まで見たぶんの感想文を、ひとまず私なりに書いてみたいのだけれども、1.時代背景については必要以上に立ち入らない(※1)、2.私的に構成への疑惑が残り、曖昧なままに書き進めていくことになるだろうから、感想文というよりメモ的な感じになるだろうと。

【 構成の疑惑 】
現在から見て過去を語っているのか、それとも現在から、2つの過去を交えて語っているのか、ここがどうもハッキリしない。図を作成↓



素材(@WEB)

(B)じゃないかと私は見ているけれど、違うかもしれない(最後まで見れば分かる)。
どこを中心に見せたいのか、構成の取り方によって異なってくる。Aであればララに比重がかかるし、Bであればチャミョンが中心となる。それに合わせて感想文を書きたいのだけれど今のところは無理だ、笑。
いずれにしても、現在から過去を交えてナレーションを入れるという構成の取り方には間違いないだろう。最終話までナレーションが入っているのじゃないかな?(違ってたりして)



【 ナレーション 】
この方法は、とくに珍しいわけでもなく、NHKの朝の連続ドラマなどでよく使われている方法だと思うし、小説ではサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が有名だと思う。素材が違うものを並べて語るとき、ナレーションを入れることでトーンが揃い、映像では映しきれなかった細かな感情まで同時に知らせることが出来、なおかつ“語り部”という言葉があるように、一人称独白体の語りは見る人へとストレートに入っていくから、文字通り、語りかけていく、友の告白に耳をかたむけるような親密な関係を築くことができる方法だと思う。すべての物語は私小説だという考え方があるけれど、この一人称独白体の語りは、古いけれども古くない、いまでも支持されている、みんなが好きな見せ方ではないだろうか。
当時の韓国のベストセラー小説をドラマ化したそうだが、活字から映像へと切り替えるとき、どう見せるかは選択の問題だ。ドラマ『生き残った者の悲しみ』は、独白体を選んだ。まずそのことが成功していると思う。実際の映像も頻繁に差し込まれているようだから、ドキュメンタリーの要素も含まれていて、ナレーションとの相性もいい。なにより、チャミョンの独白体のナレーションが詩的で、せつなく、とても良かった。

【 内容 】
1話から5話までの見出し。
1.彼らは出会った/2.彼らは愛を感じた/3.彼らはときの声を聞いた/4.彼らは真実を語った/5.彼らは見た

ララとチャミョンの微笑ましい出会いから、革命に対しての2人のスタンスの違い、そして革命へとのめり込んでいくララと、「僕」で在り続けるチャミョンとの距離は、どんどん引き離されて行くことになる。気障に言えば、時代が2人を引き離したことになる。

分かってないのよ。愛で世の中は変えられないの。
世の中それほど甘くないのよ。

世の中に埋没したら、世の中は偽りの幸せを信じる者の巣窟よ。
私はイヤ。そんな生き方イヤなの。
『生き残った者の悲しみ』/5話


ララとチャミョンの感情が爆発するところ。
ララはチャミョンにしがみつき、「私を愛していて」、と言った。
この後に、チャミョンのナレーションが入る。

それは自分を渦の中から守ってくれという意味だった。
抑えようもない自分の熱情に恐怖を感じていたのだった。
人も革命も愛したいと言った、ララ。
しかしその時、愛よりも強い力で支配していたのは、革命の火種だ。
ララは自分でも抑えられなかった。
同/5話


「この時代の若者の生き方として」、とララは、何度も言っている。
時代を切り開こうとし、同時に時代へと自ら呑み込まれて行こうとする。心配して時には激怒する父や母に対しても、自分は悪いことはしていないのだからと言うのだ。

警察官「君の考える正義とは何だ? 目的のためには社会を混乱させ、法を犯すことが正義か?」
ララ「法を利用し悪用する人を許す社会の方こそ、希望のない社会です」
同/4話


ララは、すっかり作り上げられてしまっている。
時代を作るはずが、時代に作り上げられてしまい、正義から視点を少し変えて見るだけで、時代に飼いならされた(いいように使われた)若者のようにも見える。「この時代の若者の生き方として」、時代の求めに応じている。
どちらからも独立し、自由になるためには、チャミョンの選択した生き方しかないと思う。
しかしそれは私が激動の時代を超えてきたところに立脚しているからで、まさにリアルタイムに時代へと突入して行った当時の人々にとってみれば、求めに応じるより他に勝ちとっていく道は残されていなかったのだろう。ララがリアルであり、チャミョンが後退している。当時の人々には、そう見えたのかもしれない。

あのサークルへと入るきっかけとなったのは、洋服を貸してもらったことによる。
家と学校の往復だった純粋な女の子のララが、大学生となり、たちまち時代が要求する革命の空気に感染してしまう。1話での、ララとチャミョンの会話↓。

チャミョン「俺はね、勉強も学生運動だと思う。社会主義を目指し矛盾を解決する力をつける事も必要なことだと思う」
ララ「分かるような気がします。漠然とした正義感より、実践的な能力が大事ですよね」
チャミョン「でも“沈黙する者の言い訳”と言われるかも」
ララ「誰もそんなこと思ってないですよ。私はそのスタンスが好きだな」
同/1話


チャミョンは、サークルに席を置きながらも過激な学生運動からは身を引いている。考えるだけで行動に移さない“沈黙する者の言い訳”だと仲間たちから解釈されているだろうと思っている。だが彼は釈然としない。「革命や思想なんかより、僕はちっぽけだ。僕には分からない。手におえないんだ(5話)」と。
僕はちっぽけな存在なのだと。
この立ち位置から動かないことが「僕」で在り続ける唯一の方法ではないだろうか。
この場所で考え続け、探求し、模索し、苦しみ続けることが、時代の奴隷とならない自由への道ではないか。「僕」という「ちっぽけな」場所から発言し、行動すること――。

確かに、ララの言うとおり「愛で世の中は変えられない」、これが現実だ。
しかし「世の中に埋没」するとはどういうことなのか。ララが選んだ道は拡声器で大勢の人々に自説を説いて聴かせることや、大勢の仲間たちといっしょにスクラムを組んで機動隊に体ごとぶつかっていくことなどだ。「僕」や「私」という小さな単位から、いきなり飛躍して「我々」や「世の中」や「政治」など単位が大きくなっている。小さな単位を守るために、ララは「私」という小さな単位を抹消し、大きな単位へと組み込まれていったのだ。この逆説は切実だが欺瞞に満ちている。繰り返すけど、そう思うのは、私が今の時代を生きているから。チャミョンは時代の先を行っていたとも言える。私はドラマを見ながらチャミョンの言動にこそ共感する部分が多かった。チャミョンは今の時代の人の感覚で話している。正確には、ララとともに生きた時代には馴染めずに、そこで傷を負い、今の時代まで生き残った者として、分からないものは「分からない」と正直に告白している。
「ずいぶん成長したような気もするし、逆にとても小さな存在になったような気もする(4話)」と、ララは言っていた。純粋な少女は大人になろうとしていた。その「小さな存在」を支えるように、意味を与えるように、彼女は革命へと身を浸していったのかもしれない――。

そしてもうひとりの主要登場人物、ディディ。
ララとディディは線引きした時代の、こちら側と、あちら側に立っているかのような異質さだが、心情的に重なる部分もある。何かに抗い沈まぬようにと懸命に生きているところが、ふたり、そっくりだった。「人生の実習よ。何かにこだわって生きるって、難しいわ(5話/ディディ)」
ただし、ララは大きな単位のなかに組み込まれて「私」を抹消しようとしていたが、ディディは「私」という小さな単位にこだわり、そのなかで精一杯に出来ることをやろうとしている。
彼女もまた寂しい人だった。

遅く帰ったとき、いちばん最初に探すのが、ここの明かりなんです。消えてたら大変だから。でもそんな事は一度もなくて、いつも明かりがついている。
この窓を一番叩いたのは、私ね。叩きながら考えたの。私にも戸を開けてくれる人がいる。
同/1話


大きな単位が終焉し、その次に訪れたのは孤独な小さな単位の群れだった。
革命という共同体とともに怒れる対象が消え去ったあと、個人的な怒りの対象だけが残った。
ララとディディと、どちらが幸福であり、不幸なのか、などといった単純なモノサシでは図れない難しさがある。ララにはララの、ディディにはディディの、苦しく解けない問題がある。

時に世の中は僕たちに真実を語らせた。
僕も純粋な目で世の中を生きたかった。でも残されたものは何だろう?
一瞬にして消えてしまうのか? 僕は自分の真実を見たくない。
同/4話


どん底だと思っても、さらにその下に、どん底がある。
闇の向こうに、もっと深い闇がある。
私も真実など見たくない。

次は6話から10話まで見たら記事を書きます。
つづく、笑。


※1 調べました。ヘタすると教科書問題にまで発展しかねない危険性を感じました。ネット上で議論することの意義を見出せないのが、その理由です。
また表現されたものが、あまりに政治色をきわめると、あるいはそちらに深入りして解釈すると、単なる主義主張の道具となってしまい、それこそドラマについて云々するよりもプラカードを持って街を歩いた方がいいでしょう。ドラマは貧しく痩せ衰えてしまいます。可能な限り、どこにも属さない立場で表現し、表現されたものを味わうのが適切かと思います。ドラマ『生き残った者の悲しみ』は、あくまでもチャミョンの個人的な体験として語られています。この立場に私も従います。



COMMENTS



No title

こんばんは!
 このドラマを観て下さっているのですね。嬉しいです。
 本当に内容の濃いドラマだと思います。
itu:kairouさんの感想を読ませて頂いて、私はこのドラマを観直しました。
と言うのも、前回最後まで観た時は、少々(だいぶ?笑)二人の女性とチャミョンの母の態度にむかついたのと、あらすじを追うのが精一杯で、真剣に観ていなかったのに気づいたからです。この3連休で全部観てしまいました…。
itu:kairouさんの
>ララは大きな単位のなかに組み込まれて「私」を抹消しようとしていたが、ディディは「私」という小さな単位にこだわり、そのなかで精一杯に出来ることをやろうとしている。<
この文章を読んだ時、
「あー、なるほどそうだったのか!」
腑に落ちるというか、私の喉の奥に引っ掛かかっていたララとディディという二人の女性像がストンと落ちて、このドラマが分かりやすくなりました。

 前回観た時、私はララが苦手で、どちらかというとディディの方が共感出来たのです。
「この時代の若者として…」革命に埋没していくララと、
「私の幸せ」を探し求めるディディ。
結局「私」という存在をちゃんと見つめようとしないと、自分の人生は生きられないのではないか。私はそう思うので、ディディの方が感覚的に近かったのかも知れませんね。私の育った時代を考えても、日本に於ける学生運動はすでに過去の話になっていて、バブルのただ中に青春時代を過ごした身としては、精神的に近いのはディディの方だと思います。
それでも時には理解出来ないほどディディは「私」のみを追求する女性ですが…。(怒!)そんな彼女も回を追うごとに成長していきます。

 「構成の疑惑」ですが…。
>現在から見て過去を語っているのか、それとも現在から、2つの過去を交えて語っているのか、ここがどうもハッキリしない。<
最後まで観た私でも、この点はっきり「こうです」と言い切れないのです。(冷や汗)
でも、わたし的には…、
ディディとのエピソードが現在で、ディディとは進行中。
彼女との関係に悩みながら、過去のララを思い返しているような気がします。そしてその現在の中で、まだチャミョンはララの事を過去に出来ないくらい引きずっている。だからララとディディの、二つの時代を書いている。そんな風にも思います。
そしてナレーションはずっとチャミョンの回想です。

つづきです

 今回改めて観てみると、なかなか人物像がしっかり作られているような気がします。
 そして前回はチャミョンよりも学生運動を大切にして、生き急いだララが嫌いでしたが、少し心の余裕を持って彼女の事を考えられるようになりました。(笑)

 私もララは完全に洗脳されていると思います。それも誰かに洗脳されたのではなく、時代と学生運動の熱に感染して、自らを洗脳していくような気さえします。何故ここまで駆り立てられたか…。回を重ねるごとに、私には理解出来なくなります。革命(欺瞞も感じる)の熱情は、かくも若者の心を捉えて離さないものなのか…。もし私がララと同じような時代環境にあったら、この熱に感染していたかも知れません。分からないけど、絶対無いとは言えません。

 チャミョンはララと過ごした時代にも、兵役を終えて大学に戻ってからの時代にも、違和感を感じています。あの犠牲も多かった学生運動の嵐はとうの昔のように過ぎ去って、ただ楽しげな学生達…。チャミョンだけではなく、ララと学生運動をやっていた先輩も「生き残った者の悲しみ」を背負っているような気がしました。
私も彼が一番今の時代に近い考え方の人だと思います。
「革命や思想なんかより、僕はちっぽけだ。僕には分からない。手におえないんだ(5話)」
 でもあの時代の空気に乗り切れなかった彼のこの言葉を聞くと、チャミョンの悲しみの核にあるものは「生き残った者の悲しみ」だけでなく、心の深海にまだ潜んでいるような気がします。それは母…。

もう一度 つづき

 今回はチャミョン・ララ・ディディとそれぞれの家族の事、
そしてチャミョンとディディの心のすれ違いが興味深かったです。
 
 なんとも運命的な事に、3人とも育った家庭に何かが欠けています。

 一見、全てが整っているララの家庭は、親子の関係がきれい事すぎます。父親の知性とプライドが邪魔しているのでしょうか?娘のする事に信頼と理解はしますが、必死で説得したり体を張ってデモに出る娘を阻止したりはしない。
 ララは両親が思うよりずっと子供で、学生運動に駆り立てられていく自分に怯えながら、本当はお父さんとお母さんに強く止めて欲しかったのではないかと思いました。私の考え過ぎかしら?

 チャミョンとディディは子供時代に片親になり、その家庭は崩壊しています。
 ディデイは父を憎みながらも捨てられない。肉親の情というのか、彼女の不幸の元凶なのに父親には孝行娘です。
 
 チャミョンと母はとても冷たい関係にあります。母はチャミョンの寂しさも母への甘えも受け付けようとしない。

 二人はある意味で似たもの同士だとも思いました。愛情を強く求めながら、お互いを完全に受け止める事にはいつも躊躇してしまう。欠けたところをお互い補い合えればいいけれど、何時だって気持ちもタイミングもずれてしまう。無条件で愛された経験がないから、一方は常にぎこちなく、また一方は感情が吹き出してしまって相手を傷つけてしまう。

 チャミョンは更に「あの時代」とララの事をまだ決着つけられないから、余計にディディとの関係が上手くいかなくなり…。

こんな具合に、政治やイデオロギーの問題より、3人の家族への思いや恋愛、心の軌跡を中心に観ていくと、このドラマはなかなか見応えあるドラマです。

 第一話でしたか…?! ナレーションでチャミョンが
「おそらくララは一度も僕を愛していなかった…」みたいな事を言っていました。
 私もララはチャミョンを真剣に愛してはいなかったと思います。
ディディがララと違うのは、チャミョンを愛していて、彼を精神的に最後の砦にしていた事です。(私はその点に腹も立つのですが)
 チャミョンがディディを完全に心から追い出せないのは、彼女は絶望的な時に必ずチャミョンにSOSを送ってくるから…。ララもそうしてくれれば良かったのに…。

 とても長くなって済みません。おまけに纏まりもありませんね…。m(_ _)m

 『風の息子』の観て下さってるのですね。
『生き残った者の悲しみ』もそうですが、ビョンホンは90年代にキム・ヨンエさん(チャミョンの母・ヨンファの母)と4本のドラマで共演しています。知的クールな感じの女優さんですが、私はわりと好きです。

それと私もビョンホンはドラマより映画の方が向いているような気もします。若い頃はいざ知らず、特に現在はそうだと思います。

お返事が遅くなりました、汗

すみませーん。雑事が続き…、また明日は結婚式ですよォ。この寒いのに招待客の事情はまるで無視なんですから、勝手に結婚しとけ、って感じなんですけど(笑)自分が大人になったな、と思うのは、こういう時です。「私」にだけ執着して生きていられた時代が懐かしいですね。私も若い頃はみんなに迷惑かけて、まさにモラトリアム(猶予期間)でした。

ララとディディもそうですね~。
「私」に執着しなければ、「私」として立てない。方向は違うけど、その根っこには、「私」としての不確かさに耐えられない弱さがあります。チャミョンのように不確かさの場に居続けることができない。だから弾かれたビリヤードの球のように、偶発的に動くし側面にぶつかるし。ララは時代の玉突き、ディディは行き当たりばったりの玉突き。でも若い頃ってそんなものじゃないかなぁ。むしろチャミョンが出来すぎている感じもします、大人で。

一見してふるまいは「ハッキリしない暗い人」なんだけど、文系の高学歴の人って、こういう感じの人が多いのじゃないかなぁ。母親との会話によく出ていると思います。ビョンホンさん、上手い(笑)。そうそう、こういう人いるよね、って思いました。言葉も表情も直球勝負なんてことはまずないです。手首にひねりが入ります。でも10話まで見ましたけど、出版社立ち上げて、ちゃっかりと母親から融資して貰ってるじゃないですか(笑)チャミョンはシッカリしてますね。一風変わった親子だけれど、寂しい思いもしたのだろうけれど、言葉が足りない部分を互いに補い合って、なんとかして繋がり合おうとしている、不器用な母と子という感じでした。

構成の疑惑とは大げさな物言いですみませんv-410
そうかぁ、最後まで見ても言い切れないのですね~。
えっ、ディディとは進行中なんですか!?(驚)
チャミョンは苦しいだろうなぁ。なぜ苦しい道を。
ディディを選ぶと苦しいゾ~。
ナレーションはずっと入っているのですね。
あのナレーション好きです。脳に心地良いです♪♪

>何故ここまで駆り立てられたか…。回を重ねるごとに、私には理解出来なくなります。

うんうん(頷く)。どの時代も同じだって言う人もいるけれど、私はそう思わないなぁ。分からないです。その時代の空気を体ごと感じていないと。知識や情報だけでは乗り越えていけない「感覚」があって、私に出来ることは、せいぜい今の感覚で、ぼんやりと「こうじゃない?」って言うぐらいですけど。私も理解できないです。

>チャミョンだけではなく、ララと学生運動をやっていた先輩も「生き残った者の悲しみ」を背負っているような気がしました。

そうそう、これは私も思いました。同時代を生きた者同士、共有できる悲しみがあるようです。その意味に於いては(ヘンな言い方ですけど)羨ましいです。今は個人が分断されて、より個人的な悲しみを、それぞれが独りで背負っていかなくちゃいけない悲しみがありますよね。ディディに近いと思います。namomoさんがおっしゃる、近いという感じ、分かります。

>なんとも運命的な事に、3人とも育った家庭に何かが欠けています。

ですよね…。ここは、しみじみと読ませていただきました。

「本当はお父さんとお母さんに強く止めて欲しかったのではないか」、う~ん、そうかもしれない。だけど、親に強く止められた先輩がいましたよね、ミヘ先輩。こういうパターンもありますし、難しい所です。
お父さん自体が「運動」が好きそうですよ。時代は巡ると言うけど私の若い頃も…、と娘のララに、言っていましたよね。父の出来なかったことを娘のララが代わって「運動」しているふうにも見えます。もちろんララは、そんなふうには考えていないけど…。すでに革命家を生み出すだけの素地が出来ている家庭だった、とは言えると思います。

「ディデイは父を憎みながらも捨てられない」ここはちょっと可哀想でした。
彼女は愛だ恋だと騒いでいますが、欠けた家庭を修復するように、代用として、出会う男を入れ替えていますね。見ていて可哀想でした。彼女にも、どうすることもできないのだと思います。背負わされているものが、大き過ぎて。

>チャミョンがディディを完全に心から追い出せないのは、彼女は絶望的な時に必ずチャミョンにSOSを送ってくるから…。ララもそうしてくれれば良かったのに…。

チャミョンがディディを過去にできないのは、そういうカラクリがあったのですね~。
そういえば、男は女を守る、男ってそういうものさと、チャミョンがララに言っていましたね。それを否定するなら僕は男をやめなくちゃいけないって。
男ってそういうものなんでしょうか(←ウブなフリ 笑)。
革命に生きるララは「女」を捨てようとしていたのでしょうね。
その点ディディは丸々「女」でした。
幼子が保護者を繋ぎとめておくように。

キム・ヨンエさん、いいですよね~。
チョ・ヒョンジェさん『ラブレター』でも母でした。v-218

>それと私もビョンホンはドラマより映画の方が向いているような気もします。若い頃はいざ知らず、特に現在はそうだと思います。

ドラマだと、フレームが小さくて、はみ出してしまっているような感じがします。
抑えているけど、他の役者さんとのバランスが取れなくて、ぎこちない雰囲気で、若い頃の作品だから演技が下手というより、はみ出している感じの方が強いと思いました。
ビョンホンさんのファンの方々には不評ですけど、ひょっとしてスケールの小ささ? みたいな、そういうのも、なにか違うって思われる理由の1つではないかなぁ、って思ったりして。良いドラマだけれど、たしかに、ビョンホンさんには、スケールが小さかったかも…。
それに比べて映画に出ているビョンホンさんの、のびのびとした演技!
すごく自然だし、イキイキしてます。抑えなくていいっていうのが、演じられる方にとっても幸福なことだと思います。映画→ドラマの順番で見ると、とくに。やっぱり、映画ですよ。ビョンホンさんは。


No title

こんばんは!

結婚式大変ですね。招く方も招かれる方もエネルギーが要ります…。(笑)
お返事有難うございました。

>一見してふるまいは「ハッキリしない暗い人」なんだけど、文系の高学歴の人って、こういう感じの人が多いのじゃないかなぁ。<

もう♪大うけしてしまいました~。いますよ~。私の身近にも!
拝読するまで意識していませんでしたが、
身近のチャミョン達の顔を思い浮かべて、爆笑しました~。

>でも10話まで見ましたけど、出版社立ち上げて、ちゃっかりと母親から融資して貰ってるじゃないですか(笑)<

そうでしたそうでした…。しっかり援助してましたね。社員にも御馳走していたような気がする…。
ただ、あの母は愛情は出さなくても、お金は出すタイプに見えました。(笑)

>お父さん自体が「運動」が好きそうですよ。時代は巡ると言うけど私の若い頃も…、と娘のララに、言っていましたよね。<

あーー、そういえば納得です。ララのお父さんはどうも運動に寛容だわ。
お母さんの心配そうな顔と比べると、そんな気もします。
ただ、このお父さんは確か公務員だったような…。
学生時代はチャミョンタイプだったのかしら…?!

またまた読んでいて目からウロコです。有難うございます。

キム・ヨンエさん…
そうでした! 『ラブレター』 に出てましたね!
二人の息子の母でした。これもまた複雑な状況の母と息子ですね。


No title

こんばんは~e-60
ちょっと愚痴ってしまいましたね、笑。
たしかに、双方とも、エネルギーが要ります。
お嫁さんが誰よりも寒そうでした。

namomoさんの身近にもチャミョンタイプが!
しっかりと躾けられた様子。母親の監視が行き届いた息子。映像として出て来ない部分ですね。伏せた過去の映像です。ここで回想シーンを入れないところがミソで、入れないことで観てる人は想像します。また想像できるように演じられていました。ビョンホンさんと、ヨンエさんの、さりげない演技が良かったです。私、思いっきり想像してしまいました(笑)。

>あの母は愛情は出さなくても、お金は出すタイプに見えました

うふふ(笑)
ですよね~。
息子は一枚上手で、そういう母親なら、それなりに対応するよ、ってことなんでしょう。ただ、ディディと上手くいかなくて、苦しくて母親の所へ行ったのに、あくまでも仕事優先だから、家に入れずに暗くなるまで待っていた、あのシーンはさすがにチャミョンが気の毒でした。母親自身が自分を厳しく律して生きて来たのでしょう、その固さに息子も全面的に従わなくちゃいけない、けっきょく家に入らずに帰ってしまいましたね。ビョンホンさんが切なく演じていました。namomoさんの書かれていた「心の深海にまだ潜んでいるような」もの。それも確かにあると思います。

ララのお父さんの話ですけど。
そういえば、9話で、「私、間違ってたかな。悪い事だったなら、二度としないわ」、って言ってますね。namomoさんのおっしゃるとおり、お父さんに止めて欲しかった気持ちもあるのかも…。
運動に関しては、寛容だと思います。理解してあげたい、娘を尊重してあげたい、そういうことを繰り返し言ってますが、フツーの親だったら、どうでしょう、機動隊とぶつかって、危険なことをやっているわけですから。ここも伏せられた映像ですが、ララのお父さんの若い頃はどうだったのか、想像してしまいます。

namomoさんと話していると、分かっているようで分かっていない私の観た曖昧な映像を、あらためて見直しているような感じで、とても参考になります。
こちらこそ、いつもありがとうございます♪♪

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。