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『生き残った者の悲しみ』 イ・ビョンホン (3)

11話.彼らは選択した/12話.彼らは待った/13話.彼らは忘れられた/14話.彼らは旅立った/15話.彼らは希望を開いた/16話.彼らは愛する方法を知った

更新が遅くなりました。この記事、長くなります。

さて、最終話まで観てしまった。
(1)で疑問のAかBかは教えて戴いたとおり、Aであることが判明した(ありがとうございます!)。
ということは、ララが中心。このドラマはララに捧げられている。
その通りの作りで、ララが死んだあと、タマシイが抜けてしまったかのようなテンポダウンと、説明、まとめに入る作りが残念な出来となってしまった。死んだあとの残務処理が長すぎると思う。最終話の1/4ほどでララが死んでしまい、残りの時間を使ってその後を描いた方が良かったと思うけど…、しかし、ドラマであることを考え合わせれば、これも仕方がないのかなぁ、と。視聴者が納得しないわけで。よくある意見として、「誰と誰がくっついたのかハッキリしてください」、「どうしてこうなったのかキチント説明してください」等々、コワモテの面々が控えているわけで…(笑)。それでお父さんが出て来てしまったわけだ。愛する方法を知るために。描かないことで厚みを増していたこのドラマの良さが、あからさまにチャミョンのバックグラウンドを出してしまうことで(お父さんのことね)、分かりやすいドラマに落ちてしまった。まさに、コワモテの面々に答えてあげたという図式だ。誰と誰がくっついたのか。それはチャミョンとディディです。なぜチャミョンは愛し方を知らなかったのか。それは父を知らなかったからです、と。
ハマって観ていただけに、ヒジョーに残念! 
画の繋ぎ方など凄く良かった。現在と過去を混在させて、現在として観せている、この手法はゾクゾクするほど好きだった。あとチャミョンのナレーション! 脳が気持ちイイ~、詩的で素敵。もちろん役者さんの演技も良かった。ビョンホンさんは内にこもった青年を静かに演じていたし、ララは家と学校の往復だけだった純粋な少女から、追い詰められていくほどに表情が変わっていく、壮絶な演技。ディディはちょっと△だったかな? それは演技力というよりも、包容力のある優しいお顔立ちなので、ディディの役と合わなかったという理由だけれども…。
コワモテの面々のご機嫌をとりながら、良いドラマを作ることの難しさを改めて思い知った次第です。
だけど、それでもこのドラマは良かったと思う。「制作者の気迫が伝わってくるドラマでした。」と、感想文を書かれている方がいらっしゃいましたが、同感です。ただのドラマじゃ終わらないぞ、という意気込みが伝わってきた。ドラマらしくない、ひょっとして華もない地味な作りかもしれないが、韓国の或る時代を切り取って残しておきたいという気持ち、熱い思い、もうそれだけで充分だと思う。

というわけで、11話~16話までの内容について、印象的なところを抜き出してみたい。

ララ「こんな無力感は初めてよ 私は何もできない
手術代がなくて先輩に電話するほど無力なのね
安い同情心で かっこつけて
現場の労働者は命がけで働いているのに
お金で苦労したことのない私が あの中で何ができるの?」
『生き残った者の悲しみ』/11話


一時は勉強を教えてあげると約束した貧しい同僚が入院する。その手術代をララが代わりに支払ってやりたい。ところがララにはまとまったお金がない。そこでチャミョンを電話で呼びつけた。目先のお金、生活するためのお金、そのことを意識したこともない“お嬢さん”のララは、生活の真っ只中で生きている本物の労働者の苦しみを知り、「安い同情心でかっこつけている」自分自身と対面することになる。本物の労働者がどういうものなのか、ララは知らなかったのだ。しかも、彼らを金銭的にバックアップするほどの力もない。「こんな無力感は初めてよ」と。
そこでチャミョンは、これまでのわだかまりを告白するわけだ。
活動家として常に先へ、先へと進み続けるララに対して負い目を感じていたと。
「それでも 僕がララに会えるのは 少しでもララの力になれるのかなって思うからだよ こんな僕でもいなければ もっと困るだろう」

ララ「私のために 先輩がそんなに苦しんでいたなんて」
チャミョン「それくらいしないと ララの傍にはいられないよ――。大きなことを考えるのはよそう 少しずつ進もう」
ララ「分かるわ 私 探してみる 自分の力でできることを」
同/11話


ここでドラマは急展開し、チャミョンの提案を受け入れて、ララは大きなことを考えず、少しずつ進む道へと路線変更して行くのかと、おそらく誰もが思ったはずだ。あの素直で純粋なララが、「分かるわ 私 探してみる」と言ったのだから。

ところがその後、ララの仲間たちがドヤドヤと部屋に入ってきて、次に起こす運動のための会議めいたものを始めてしまう。仲間たちはララと同じなりすましの労働者で、嘘の履歴書を会社側に提出し、労働者たちの自由や権利を獲得するために、裏では作戦会議に余念がない。
舌の根も乾かぬうちに、ララは始めてしまう。チャミョンとララの間に流れる妙な空気。この空気にララは気づいていない。彼女は仲間たちとの話し合いに夢中になっている。妙な空気を感じているのは、チャミョンと、そしてこのドラマを観ている私たちだけだった。
このカットは素晴らしい。空気がぐんにゃりと曲がっていくさまが見えるようだった。カメラが映しているのは、この曲がった空気だ。ふたりの距離と、そしてララがどう変わってしまったのかを伝えている。ザラッとした感触だった。
チャミョンの知っているララは、もうそこには居ない。目的のための目的を遂行する、前へと進むことしかできなくなってしまった、マトモな感覚が摩滅した鈍感な女が映っているのだ。この11話、このカットに於いて、彼女の未来が暗示されている。

権利だナンだとうるさい労働者グループを一掃するために、ついに会社側は動き出す。
ララは嘘に嘘を重ねていくが、偽名をつきとめられてしまい、そこから逃亡生活へ。
ところが彼女の仲間、執行部は壊滅状態で、充分にララを支えてやることができない。偽名を使い、転々として歩くことに疲れてしまったララは、自分の名前すら忘れてしまいそうだと仲間に打ち明けるのだ。

仲間「とにかく はやく自立することね 不安を解消したいなら
学生運動は永遠だから」
同/12話


この仲間は後で、冷たいじゃないか、ララが可哀想だとチャミョンに責められたとき、「あの子、ララっていう名前なのね」と言っている。彼らは活動家として社会のために尽くしてきたかもしれないが、仲間同士の本当の名前すら知らなかったのだ。仲間の1人、コマの1つ、生きるも死ぬも、あとは勝手にやってくれと。それが「自立することね」の意味だった。

ナレーション「僕を苦しめたのは ララと痛みを共有できなかったことだ
ララがひどい仕打ちを受けた その瞬間にも 僕は希望を信じていた
もう希望を持たなくなる その時までは」
同/同


粗末な定食屋で働き始めたララは、日雇い労働者の男に一方的に思われて、殴られ、引きずられるようにして、この男との生活へと入っていく。
心の支えは、春になれば事態は好転するだろうと言った、執行部の言葉。
行くあてもない。この男(ジュンテ)と夫婦のフリをしていれば安全だろうと――。

ジュンテ「お前は人生を間違えたみたいだな」
同/13話


ハッとする、ララの表情が印象的だ。ジュンテは彼女の真実を何ひとつ知らされていない。知らされていないのに、ララの中心を射抜いた。彼女の本音はそこにある。本音を言い当てられた彼女の逃げようもない一瞬のうろたえた表情が、やや下から掬い上げるようにしてカメラが拾っている。

――私は人生を間違えてはいない!――

といった心の声が聞こえるようだ。うろたえた表情の上から嘘でフタをする。偽名、なりすまし、嘘の履歴書、もう慣れてしまった嘘だ。正義を貫くために今彼女はここに居る。そして春を待っている。春になりさえすれば嘘は帳消しになり、以前のような暮らしができる。彼女は必死だった。信じてきたことを信じるために、彼女にとって、ここは踏ん張りどころだったのである。

やがて、ジュンテは家を出ていく。
暴力的な彼に対しても、ララは懺悔したい気持ちだった。

ララ「(チャミョンに)ここに居る間は 私はオ・ララではなく キムという名の女で
ララは今 ソウルにいる 私は今夢を見ているんだ
夢からさめたら 懐かしい人達に きっと会えるはず――。
私はあの人を利用したの 私が彼にしていることは偽善なの
私はあなたとこんな所で暮らすような女じゃない
そんな優越感があったから耐えられたの」
同/14話



ひとり残されたララが熱を出して呼び出したのは、やはりチャミョンだった。
ララと痛みを共有できなかったこと。その痛みの全貌を、チャミョンはここで知らされることとなる。

注意して観たいのは、ララの言葉。「私はあなたとこんな所で暮らすような女じゃない」
彼女は何のために活動家などになったのだろう。労働者のために現場へと出向き、嘘の履歴書までこしらえて、正義のために闘ってきたはず。ジュンテは労働者そのものではないか。なんの保障もない日雇いの労働者だ。彼ひとり助けてやることすらできずに「こんな所で暮らすような女じゃない」と、社会階級の上下を自身の拠り所としている。会社の社長が下っ端の連中を指して、お前らといっしょにするなと言っているようなものだ。私が社長でお前らが下っ端。それが社長の拠り所となれば、ララのような活動家は黙っていないだろう。

そう、ここで彼女は、彼女の求めていた“現場”に辿り着いたのだ。
ジュンテが“現場”を知らせてくれている。それは、ララの思うような場所ではなかった。明日をも知れぬ暮しにあえいでいたのは確かだろう、ジュンテが何度も言っている、お金持ちが旨い汁を吸うように社会は出来ているのだと。しかしそこから先が違っていた。彼女はもっとナイーブに考えていた。こんな泥臭い彼らの荒々しさや逞しさ、そして愚かさを、彼女は知らずにここまで来てしまったのだ。
書物に描かれた“社会”は観念的である。彼女は現実の“社会”を知るべきだった。そのためにはまず、自分が知らないことに気づくべきだった。社会も労働者も知らない私――、無知な自分と向き合うところから始めるべきだったのだ。
ジュンテが登場し、ララが“現場”を知っていく過程は、壮絶だ。
人生を間違えてしまったかもしれない自分と、これまでの自分の活動を肯定したい気持ちと、腹の中じゃ嫌悪する現実の労働者と、もう分からなくて夜道をただ歩いて行くしかない茫然自失。

ララ「いつまでも私のこと忘れないで オ・ララを
私には もう少しだけ希望が残っている
まだその時じゃない」
同/同


1989年12月30日。ララは23才と3ヵ月。
春を待たず、孤独な海辺の岩間に身を隠したまま、雪のなかで永眠する。

ナレーション「再会するのだ また愛し記憶するのだ」
同/13話


チャミョンが『生き残った者の悲しみ』を書く理由がここにある。と同時にドラマ化する理由もここにある。
過ぎ去った日々、亡くした人々、彼らへの愛をもう一度思い起こすことで、チャミョンは彼らと再会し、何度でも彼らを愛することができる。痛みを共有できなかった自身を癒してやることができる。忘れないかぎり失った人々を失うことはないと言うけれど、ほんとうに、その通りだと思う。チャミョンは、オ・ララを、忘れることはないだろう。

一方、ディディは、ささやかな「私」の幸福を求めて現代人らしく闘っていた。
年上の男性との間にできた子を産み、叔母にあずけてスーパーへと働きに出ている。魅力的な彼女を放っておくはずもなく、まもなくしてスーパーの上司が求婚する。ディディとは真逆な、幸せな家庭に生まれ育った彼を頼もしく思うが、未婚の母という過去がネックとなって、彼の両親に反対されてしまい、ふたりは別れてしまった。ふりだしへと何度も戻されてしまうディディだった。

ディディ「これから 何かを あきらめながら 生きるのね」
同/13話


彼女は諦めながら、傷つきながら、社会と折り合いをつけていく。
守るべき子どもが生まれ、愛憎の対象だった実父が亡くなった後は、かつて「ニセモノ」と言い放った苦しみも遠退いて、少女から大人へと一歩ずつ階段をのぼって行くようだった。諦めた彼女はララのような純粋さを失いつつあるかもしれないが、そのぶん現実の社会を知り、自立して生きる術を覚えていったのである。
このドラマの1話と比べると、ディディは安定してずいぶんと大人になった印象だ。チャミョンのやり方をもどかしく思っていたはずが、もっと大きな理解の中でチャミョンを理解しようとしているように、見えた。
“純愛”の定義は私にはよく分からない。生涯たった1人の人を愛し続けるといった意味も含まれているのだとすれば、それは現実的に考えて、ほとんど不可能だと言っていいと思う。現実的にはディディのように、心は揺れ動くものではないだろうか。揺れ動き過ぎて、色魔のようにも見えてしまうが、寂しい家庭に生まれ育った人の中には、人の温もりを手繰るようにして異性へと体をあずてしまう人もいるかもしれない。
韓国ドラマのセリフに多い“運命”。
めぐり巡ってチャミョンの元へと戻ってきた、ディディ。
いや彼女は一度も彼の元から離れることはなかった。それが運命であるならば。

ナレーション「僕たちの時代の希望と絶望は?
絶望とは 希望への非常口かもしれない」
同/15話


同志達の血にどう償えばいいのか。
「飛び込む勇気がなくて法廷の裏に逃げていた(6話)」とチャミョンは苛まれたままだ。
そんな折、『韓国民族解放運動史』を出版しようという話が持ち上がり、彼は希望への非常口扉を思いきって開けることになる。ただちに出版法違反により逮捕。彼は塀の中の人となってしまった。

かつての同志が担当検事となり、法廷で彼とやり合う。
それぞれの正義のため一歩も引かないが、双方とも過去を忘れたわけではない。それどころか過去に苛まれている2人なのだ。担当検事は法に従い強い言葉で彼を責めながらも、法の内側で人間らしい温かみのある余地を含ませていた。
いったい法は誰のものなのか。社会は誰のものなのか。
2人は無言のうちで、かたく心を結び合っていた。

判決には執行猶予が付いて、チャミョンは塀の外側へと出てくる。
そこで待っていたのはディディと、かつての同志と、母親と、父親だった。

だれもが過去を忘れていくが、いま開かれている新しい時代をつくるために多くの犠牲となった人々の血が流されている。
だれもが忘れてしまっても、かつての同志たちは流された血の意味、重みを忘れることはなく、また再会するために何度でも彼らのことを思い出すだろう。
「いつまでも私のこと忘れないで」と言ったララの声が、最後に私の心に残りました。

PROFILE
・チャミョン(イ・ビョンホン
・ララ(シン・ユンジョン

DVD-BOX
生き残った者の悲しみ パーフェクトボックス
生き残った者の悲しみ パーフェクトボックス
イ・ビョンホン シン・ユンジョン イ・ミンホン

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COMMENTS



全部見終えて。

 itu:kairouさんこんにちは!
ついに『生き残った者の悲しみ』が終わったのですね。
読み応えのある感想に支えられて、私もこの作品を改めて観返したり、考える事が出来てとても良かったです。ありがとうございます。

 終盤は確かにそれまでとは趣が変わって、一気にまとめモードに変化していますね。
ただ、チャミョンを悶々と見つめていた私としては、このまとめモードにホッとしたりもしました。何か決着がつかないとチャミョンが可哀相な気がします。チャミョンがララの死をきちんと心の中で消化しないと、この先進めないような気がしました。それに愛情面でも幸せの兆しがないと悲しいです。(ただのファン心理ですが)

 それでも私は父との再会のシーンは要らなかったと思います。
出所してから、チャミョンは母と会い、これまでの母の思いや父の居所を尋ねます。
このシーンで「あー、お母さんの息子や夫への感情のもつれは、時の流れによって少し洗われたのだ」と感じました。
チャミョンへの癒しはこれだけでも充分だったような…。
わたし的には父を登場させずにお寺を尋ねるチャミョンの後ろ姿だけに留めて欲しかった。
その方が余韻があって良かったかも…。

 ララは壮絶でしたね。組織から支援が得られなくなり、事実上見捨てられたララ。
そのまま脱落して家に帰れば逮捕されて、組織の事や仲間の事を喋らざるをえなくなる。
 だから彼女は帰らなかった。
ただララは組織の詳細までは知らない末端の同志だから、捕まってもたいして自白する事もないかも知れない。組織はそれを恐れて仲間同士の名前さえも知らずに済むようにしていただろうから。
 
私はこのドラマを観ながら、何度もララに「両親とチャミョンのもとに帰れ!」と言いっておりました。
itu:kairouさんが指摘していらした11話のシーン。
チャミョンに「分かるわ 私 探してみる」と言った直後に始まるあの会議のところは象徴的です。。
彼女の言っている事とやっている事のチグハグに、私もチャミョンと同じ違和感を感じました。
私は「マトモな感覚が摩滅した鈍感な女」とまでは思いませんでしたが(笑、さすが言い得て妙ですe-460)すでにララが社会を良くするために活動したいと思っていた純粋さを忘れ、組織のための活動家に成り下がったのを目の当たりに手しまったような気がしました。
 
 この後のララの逃避行の果てに遭ったのは不幸な結婚でした。
名前も偽り、経歴も隠し、心此処にあらずで、日雇い労働者の男と一緒になるが、それは全て潜伏のため。
「私はあなたとこんな所で暮らすような女じゃない」
その優越感だけが支えのララの欺瞞は、彼女が心の中で見下していた夫にも充分伝わっていたのでしょう。だからララはこの教育も教養もなく乱暴で酒飲みの夫に捨てられてしまいました。
 この夫は観念の世界ではなく現実の世界と人間しか知らないから、ララよりも現実のララがよく見えていたのではないかしら。

 「お前は人生を間違えたみたいだな」
私もこのセリフを聞いた時、大きく肯いてしまいました。ララは認めたくないでしょうけれど、ララは人生を間違えてしまった。そこからでもまだ引き返せたハズなのに、せっかくチャミョンを呼んで助けてもらいながら、やはり彼女は引き返さなかった。
 彼女が望んだ理想の社会は何だったのだろうか?
真の民主化か、自由に社会主義を押し進める事なのか、搾取のない平等な世の中か?
 ホンモノの活動家を目指して現場に赴いたララですが、実際は夫達のような現実の現場を軽蔑すらしてしまう。聡明な彼女だから、その時点で挫折感を味わっていたでしょう。
でもその挫折を彼女は結局認めずに、信念を押し通して死んでしまった…。(涙)
残されたものに永遠の悲しみを残して…。

つづきです

 ララと違い、ディディは社会の現実の中で「私」を生きていこうとしますね。
こちらは往きつ、戻りつしながら、うそっぱちの社会を受け入れながら…。
チャミョンを都合のよい存在にしながら…。
でもやがてチャミョンが大切な人だと気がつく。
 
 生きていく事は、時の流れの中で自らも変化していくという事。
 私はララにも生きて欲しかった。あの学生運動の時代を生きながらえ、チャミョンと共にあの時代を振り返りながら生きて続けて欲しかったです。
 多分「生き残った者の悲しみ」を書き終えても、チャミョンはララとその時代を忘れる事など出来ないと思います。でも彼の心の痛みは消えなくても整理はされたと思います。
 そしてララはチャミョンの中で生き続ける…。

 前も書いたと思いますが、私はこのドラマは後半が素晴らしいと思います。
学生運動の理想と現実のギャップ。そして活動の限界。それに直面して死んでいった若者もいるし、ただ傍観者のように生きた人もいた。そんな時代を美化することなく、貶める事もなく、きちんと描いています。
 
 このドラマは1993年放送です。一昔以上前です。
軍人政権は終わりを告げ、まだ革新系の政党が政権を取る前ですから、むしろララの時代の学生運動に対しても冷静な描写が出来たのではないかと思います。
 私はドラマとは時代を映す鏡だと思っていますが、このドラマはまさに最善の時を得て作られたと言えるでしょう。
 そして韓国の現代史の、それもついこの間の事をきちんと内省しながら描いています。私はこのドラマを作った人々は素晴らしいと思います。日本でもこのようなテーマの作品は余り作られていないのではないかしら?
まさに奇跡のようなドラマですね。

 「ソドンヨ」は順調に観てらっしゃいますか?
私は「チュモン」も途中になっており、今はビョンホンの「太陽が昇る日」をDVDで観ていますが、これも全体の40%の所で止まっています。
 途中のドラマばかり増えるのも考え物ですが、4月からはNHKの地上波で「太王四神記」、BSで「ファンジニ」が始まるのでこちらを先に観る事になりそうです。(笑)
新しいkairouさんのサイトにもまたお邪魔しますね。よろしくお願いいたします~。m(_ _)m

namomo さんへ

こんばんはe-235
コメントありがとうございました。

私の感想文は、多少偏っているかもです、笑。
namomo さんのおっしゃるとおり、「それまでとは趣が変わって」、ララ亡き後のチャミョンを静かに描いていたとも言えますよね。

>チャミョンがララの死をきちんと心の中で消化しないと、この先進めないような気がしました。

そうでした。言い換えると、ララが真ん中に居て、チャミョンを苦しめていた。そこから少しずつ時の流れとともに解放されてゆくさまが、あの2話ですよね~、後半の。
それは忘れて行くということではなくて、ララの死によって支配されていたチャミョンが、ようやく自分の「生」を生きようとする場面ですね。自分を生きることによって、ララを自分の記憶として残すことができる。
となれば、「まとめに入ったな」とガッカリしたけど、そうでもないかも!
でもお父さんは余計ですよね。とここで我に返る。『生き残った~』にハマって見ていた私は、他の記事よりも、かなり厳しく記事を書いてしまったのだなあ、と。期待する気持ちが強かったのです。きっと素晴らしい結末へと向かってくれると。namomo さんのコメントを拝見し、そうでもないかも! と思いましたv-410

>「あー、お母さんの息子や夫への感情のもつれは、時の流れによって少し洗われたのだ」

お母さんも、どこか吹っ切れた感じで…。

>わたし的には父を登場させずにお寺を尋ねるチャミョンの後ろ姿だけに留めて欲しかった。

うんうん。含めて欲しかったです。

>組織はそれを恐れて仲間同士の名前さえも知らずに済むようにしていただろうから。

捕まった後のことまで心配して名前を明かさなかったのですね。
ほんとに、ここは、見ていて、辛かったです。チャミョンがララちゃんを好きだから、ララちゃんが辛いめに遭うと、なんだかチャミョンまで辛いめに遭っているような…。

>私は「マトモな感覚が摩滅した鈍感な女」とまでは思いませんでしたが(笑、さすが言い得て妙です)

はははッ。すみません、キツかったかもです。

>この夫は観念の世界ではなく現実の世界と人間しか知らないから、ララよりも現実のララがよく見えていたのではないかしら。

なるほど。そうですよね…。
ララよりも現実のララが見えてしまうことの残酷さ、ちょっと言葉に出来ないですね、すごく残酷だと思いました。でも現実って残酷ですよね。観念の世界は、残酷な現実に柵をめぐらして、べつの現実を作っているところがあるから、落下するまでに、いくつかのクッションが敷かれて守られているけれど、現実の世界はそのまま叩き落してしまう柵のない世界だから、そこへララちゃんがまっさかさまに落ちて行ってしまった、その痛みをモロにかぶってしまいました。あの場面は忘れらないです。「残されたものに永遠の悲しみを残して…。 」

私もつづきです。

>前も書いたと思いますが、私はこのドラマは後半が素晴らしいと思います。
学生運動の理想と現実のギャップ。…
>生きていく事は、時の流れの中で自らも変化していくという事。
私はララにも生きて欲しかった。あの学生運動の時代を生きながらえ、チャミョンと 共にあの時代を振り返りながら生きて続けて欲しかったです。

絶望したララが、自殺した、とも解釈できる描き方でした。
「私、もう疲れてしまったの。家に帰りたいの」、というふうな死に方で…。
生きていて欲しかったです。

韓国ドラマが昼ドラだと未だに思い込んでいる方々へ、言いたい気持ちです。そうではないドラマがいっぱいあります。情熱を傾けて作られています。『生き残った~』は、ご都合主義の、甘いドラマじゃないですね。美化して描きたい所もあったでしょうに…、もう一歩踏み込んで痛みを共有しようとしていました。

>私はドラマとは時代を映す鏡だと思っていますが、このドラマはまさに最善の時を得て作られたと言えるでしょう。

同感です。そしてみんなに受け入れてもらった、というのが素晴らしいと思います。

>「ソドンヨ」は順調に観てらっしゃいますか?

ギクッ! 途中で止まってます、笑。
namomo さんも、途中が、いくつか…? 
『太王四神記』、私も見てみます。

『生き残った~』の記事は長かったですね。
3本に分けて長くて、画像も少なくて、ほんとに、namomo さん、読むのが大変だったと思います。申し訳ございませんe-263
新サイトでは、もうちょっとコンパクトに収めることができないかと。
無理かもしれませんが(笑)努力してみます。
心のこもったコメントを頂戴しました。心より感謝いたします。こちらこそ、よろしくお願いします!

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